古典学習会(二)(『賃金・価格および利潤』&「資本論に関する手紙」)
2024.12.01改定
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(1865.6.20&6.27国際労働者協会におけるマルクスの講演)(2024.8.22改定) |
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2023.07.07からマルクス・エンゲルスの古典学習会を開催することになった。 ここではまずはじめに、マルクス・エンゲルスの生きた時代背景を略年譜形式で押さえておきたい。 以下の略年譜は雑誌「経済」2013.5月号掲載による。 −−−−−−−−−−−−−−− 「マルクス・エンゲルス略年賦」(雑誌「経済」2013.5月号、p6から引用) −−−−−−−−−−−−−−− 1818 マルクス生まれる 1820 エンゲルス生まれる −−−−−−−−−−−−−−− ※1770〜1831:ヘーゲル(精神現象学1807、論理学1812、エンチクロペディ1817、法の哲学1821) ※1789 フランス革命(当時ヘーゲル19才) ※1830 フランス:7月革命(立憲君主制) −−−−−−−−−−−−−−− 1842 マルクス、「ライン新聞」へ寄稿、やがて主筆に 1843 「ライン新聞」編集部を退く。パリへ 1844 マルクス「独仏年誌」創刊。エンゲルス:「国民経済学批判大綱」 マルクス:「ユダヤ人問題によせて」「ヘーゲル法哲学批判序説」 マルクス・エンゲルス、「聖家族」共同執筆 1845 マルクス、パリを追放されブリュッセルへ エンゲルス、「イギリスにおける労働者階級の状態」刊行 1846 マルクス・エンゲルス、「ドイツ・イデオロギー」共同執筆 マルクス・エンゲルス、共産主義通信委員会を組織 1847 マルクス、「哲学の貧困」出版。マルクス・エンゲルス、共産主義者同盟に加盟。 1848 マルクス・エンゲルス「共産党宣言」発表 ドイツで「新ライン新聞」創刊。(仏:2月革命、独:3月革命) 1849 マルクス「新ライン新聞」に「賃労働と資本」を連載。 8月マルクス、ロンドンに亡命、経済学の研究開始。 1850 エンゲルス、マンチェスターで商会の仕事に就き、マルクスを支える。 1851 ルイ・ボナパルト、クーデターで皇帝に 1852 マルクス、「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」発表 1857〜58 マルクス、経済学の草稿執筆「57〜58年草稿」 1859 マルクス、「経済学批判」(第一分冊)刊行 1861〜63 マルクス、経済学批判続編の草稿「61〜63年草稿」 1863.7.6 マルクスの「経済表」を手紙でエンゲルスに送る。 1863〜65 マルクス、「63〜65年草稿」(資本論全3部の草稿)執筆 1862 マルクス、第一インターナショナルの「創立宣言」「暫定規約」起草 1865 マルクス、第一インターナショナル総評議会で「賃金・価格および利潤」を講演 1865〜67 マルクス、「資本論」第一部完成稿執筆 1867 マルクス、「資本論」第一部刊行 1867〜70 「資本論」第二部、第2〜第4草稿執筆 1871 パリ・コミューン マルクス、「フランスにおける内乱」執筆 1872 「資本論」フランス語版刊行開始(〜75年) 第一インターハーグ大会。本部をアメリカへ 1873 「資本論」第一部第2版刊行 1875 マルクス、「ゴータ綱領批判」(独、ゴータで合同大会) 1876 エンゲルス、「反デューリング論」執筆開始 1877〜81 「資本論」第二部草稿執筆(第5〜第8草稿) 1880 エンゲルス、「空想から科学へ」刊行 1883 マルクス、死去 「資本論」第一部第3版刊行 1885 「資本論」第二部刊行 1886 エンゲルス、「フォイエルバッハ論」刊行 1891 エンゲルス、「エルフルト綱領批判」発表 1894 「資本論」第三部刊行 1895 エンゲルス、「マルクス『フランスにおける階級闘争』の序文」を執筆 1895 エンゲルス、死去 TOP |
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「科学的社会主義」講座(古典学習会)@ (Amebaブログはこちらです2019.8.12) TOP ここでは、マルクスの『賃金・価格および利潤』(1865.6.20&6.27における国際労働者協会の講演)から経済学の基礎 概念、特に価値・剰余価値並びに賃金または賃金制度(資本制的生産)についてマルクスの概念規定を見て行きます。 これは、「資本論」(1867年)の内容を「平易な形で先取りする」ものです。 (参考文献は、岩波文庫『賃金・価格および利潤』(昭和40年9.20第31刷) また、(光文社文庫2023.5.30第2冊) (第5章、6章、7章、8章、9章、10章、11章、12章) 初めにまず、この講演のきっかけとなった、背景についてドイツ語版への序言から引用する。 岩波文庫版P11:「この労作はマルクスが1865年6月20日及び27日に、ロンドンにおける第一インターナショナルの中央 委員会で行った講演である、事。当時、第一インターの成員であったウェストンは、次のように主張していた。 (1865.5.20マルクスのエンゲルス宛手紙) (1)一般的な賃金の値上げは労働者たちにとりの役にも立たないであろう。 (2)故に、労働組合は有害な作用をするということ、であった。 また、1865.6.24のエンゲルス宛手紙では、「賃金の一般的値上げなどが如何に作用するかという、ウェストン君に よって提出された問題に関する論文を朗読した。そのうち第一の部分は、ウェストンのナンセンスに対する解答で あり、第二の部分は、時宜に適する限りでの理論的説明である。ところで人々はこれを印刷させたがっているが、 ・・・私は躊躇している、この点について君の助言を聞きたい。」と。 そして・・・ 結局、この講演の論文はマルクス・エンゲルスの生前には印刷されず、1897年英語で1898年にドイツ訳で出版された。 それ故、われわれは、第一部の結論部分(ウェストンの要約=第二部の前提)である第5章から見ていくことにする。 「五 賃金と物価」(岩波文庫版P42またはマルクス・エンゲルス選集Cp117) TOP わがウェストン君の全議論は、最も簡単な理論的表現に還元すれば、次の1つのドグマに帰着する。即ち、『諸商品の 価格は賃金によって決定または規制される』と。彼はまた、次のようにも言っている、「利潤と地代も商品価格の構成 部分をなしている。」なぜなら、労働者の賃金だけでなく、資本家の利潤や地主の地代もまさに商品の価格から支払わ れねばならぬから、と。では、かれの考えでは、価格はどのようにして形成されるのか?まず第一に賃金によって、 次にその価格に資本家の為に何パーセントかが付加され、さらに地主の為に何パーセントかが付加される。ある商品の 生産に使用される労働賃金が10だと仮定し、利潤率がこの賃金の100%だと仮定すれば、資本家は10を付加するであろう し、またもし地代の率も100%とすれば地主によってさらに10が追加され、この商品の総額は30になるであろう。 しかし、このように価格を決めるのは、単に賃金によって価格を決めることでしかなかろう。上記の場合、賃金が20に 上がればこの商品価格は60に上がる訳だ。また彼らが、利潤は資本家間の競争によって決まると主張しても、それでは 何の説明にもならない。確かに、競争は様々な産業内の様々な利潤率を均等化したり、それらの利潤率を1つの平均水準 に帰着させたりはするが、しかしそれは、この水準そのもの、つまり、一般的利潤率を決定することは決して出来ない。 諸商品の価格は賃金によって決定されるというのは、どんな意味であるか? 賃金とは労働(力)の価格の別名に他ならないから、それは、諸商品の価格は労働(力)の価格によって規制されると いう事である。『価格』とは、貨幣で表現された交換価値であるから上の命題は『諸商品の価値は労働の価値によって 決定される』ということ、または、『労働の価値は価値の一般的尺度である。』という事に帰着する。 だが、ではどうして『労働の価値』そのものは決定されるのか?ここで我々は行き詰まってしまう。 ウェストン君を例にとれば、彼は曰く:「賃金は諸商品の価格を規制する」従って、「賃金が騰貴すれば物価は騰貴し なければならない」と説き、それから向き直って「賃金が騰貴しても何にもならない、けだし諸商品の価格が騰貴する から、そして賃金は実にそれで買われる諸商品の価格によって測定されるのだから」と。こうして彼は、労働の価値は 諸商品の価値を決定し、諸商品の価値は労働の価値を決定するというひどい循環論法に陥っているのだ。 『賃金は諸商品の価格を決定する』というドグマは、最も抽象的な言葉で言えば、『価値は価値によって決定される』 という事になるが、この同義反復は、我々が実は価値について全く何も知っていないという事を意味する。 (岩波文庫版P45・選集Cp119) --------------------------------------------------- ここからが第二部分の始まりで、「六 価値と労働」(p45/選集Cp120)です。 TOP (1)「六 価値と労働」における価値概念 「マルクスの問題提起」 「第一の問題は、商品の価値とは何か?それは、どうして決定されるか?という事である。」(p46) @諸商品の交換価値(価値)は、これらの物の社会的機能に他ならず、自然的諸性質とは全く何の関係もないので、 我々はまず、すべての商品に共通な社会的実態は何であるか?と尋ねなければならない。それは労働である。」 (※労働価値説) 商品生産の為には、一定量の労働が必要であるが、それは単なる労働ではなく、社会的労働である。ある品物を自分 自身の為に生産する人は、生産物は作るが商品は作らない。自給自足の生産者としては、彼は何ら社会と関係しない。 ところが商品を生産する為には、人は、何らかの社会的欲求を充たす品物を生産しなければならないだけでなく、彼 の労働そのものが、社会によって支出される総労働量の一部分を占めていなければならない。 それは、社会内の分業に従属していなければならないのであって、商品が価値を持つのは、それが社会的労働の結晶 だからであり、その価値の大きさは、それに含まれている社会的実態の量的大小、即ちそれの生産に必要な労働の 相対的分量(労働時間)に依存している。だから、諸商品(w)の相対的価値は、それらに費やされた・実現された・ 固定された・労働のそれぞれの分量によって決定される。 同一の労働時間内に生産されうる諸商品の相関的諸分量は相等しい。 (※労働に対する報酬(賃金V)と実際の労働量(V+m)とは全く別ものだという事に注意する事!」 (※mは剰余価値) TOP (商品の価値構成・・・不変資本、可変資本、剰余価値) 「一商品(w)の交換価値を計算するには、それに費やされた労働量(v+m)に加えて、その商品の原料に予め費や された労働量(c1)と労働過程で援用された用具、道具、機械並びに建物に用いられた労働(c2)、を以てしなければなら ない。」(p50〜51) (即ち、W=C+V+m、ここでC(不変資本)=c1(原材料費)+c2(減価償却費)) さらに、1商品の生産に必要な労働量は、使用される労働の生産諸力の変動によって絶えず変動する。 労働の生産諸力が大であればあるほど、一定時間内の生産物がより多く生産される。逆であれば逆である。 (つまり、1商品に含まれる価値が低下し価格は安くなる。) A価格は、価値の貨幣的表現に他ならない。 TOP 価値と市場価格との関係はどうか?(p55) 市場価格は、生産諸条件が個々の生産者たちにとって如何に相違していようとも、同じ種類の全ての商品にとって同一で ある。それは、平均的な生産諸条件のもとで、一定の品物の一定量を市場に供給する為に必要な、社会的労働の平均量を 表現するにすぎない。それは、一定種類の商品全部について計算される。その限りでは、商品の市場価格はその価値と 一致する。(※) (※諸商品の生産価格の総計は、諸商品の価値の総計に等しい。 (「総計一致の2命題の1つで、他の命題は、社会の平均利潤の総額は、社会の剰余価値の総額に等しい」です。) (2)「七 労働力」概念について(※労働と労働力の違いに注意) TOP @「普通にいう意味での「労働の価値」なるものは存在しない。」 「労働者が(資本家に)売るのは、彼の「労働」そのものではなくて、彼の「労働力」であり、この労働力の一時的な 自由処分(権)を彼が資本家に譲渡するのである。」(p58) A労働力の価値とは何であるか?(p60) 「他の商品価値と同様に、その生産に必要な労働の分量によって決定される。」即ち、「労働力の価値は、労働力を 生産し、啓発し、維持し、永続させるに要する必需品によって決定される。」(p61) (3)「八 剰余価値の生産」(※資本制的生産または賃金制度の基礎) TOP 資本家は、労働者の労働力を買ってその対価(価値)を支払う事によって、買った商品を消費または使用する権利を 得る。労働者の労働力は、彼が働かされる事によって消費または使用される。即ち、労働力の価値は、それを維持または 再生産するに必要な労働量によって決定されるが、しかしその使用は、労働者の活力と体力によって制限されるだけで ある。従って、例えば「紡績工」がその労働力を日々再生産する為に日々3シリングの価値を再生産しなければならない とするなら、彼は、1日に6時間働く事によってそうするであろう。ところが「資本家」は、紡績工の労働力の一日分の 価値を支払う事によって、その労働力をまる一日使用する権利を得たのである。だから彼は、紡績工を例えば一日に 12時間働かせるであろう。従って紡績工は、彼の賃金、即ち彼の労働力の価値を補填するに必要な6時間を超えて、 さらに6時間働かねばならないであろう。この超過分を私は、「剰余労働時間」と名付ける。この「剰余労働」は、 「剰余価値」及び「剰余生産物」において自らを実現する。彼(紡績工)は、既にその労働力を資本家に売っているの だから、彼が生産した生産物の全価値は、・・・資本家のものとなる。だから資本家は、3シリングを投下する事によ って6シリングの価値を実現する。そしてその半分は再び賃金を支払う為に支出されるが、残り半分は、資本家によって 何らの対価も支払われない剰余生産物を形成する。(※)資本と労働との間のこの種の交換こそは、資本制的生産または 賃金制度の基礎であり、そしてそれは、労働者としての労働者及び資本家としての資本家の再生産を引き続き生じさせる ものである。(p64) (従って、)剰余価値率は、労働日のうち、労働力価値を再生産するのに必要な部分と、資本家のために行われ る剰余時間ないし剰余労働との割合に基づく。従ってそれは、労働者が自己の労働力価値を再生産する時間、 即ち、自己の賃金を補填するにすぎない時間を超えて労働日が延長される度合いに基づいている。 (「賃金・価格・利潤」(光文社文庫 森田成也訳p208)(※) (※) m’(剰余価値率)=m(剰余価値)/v(労働力価値=賃金) (※) 1労働日=必要労働時間(v)+剰余労働時間(m))(また、商品価値(w)=c+v+m)
![]() 「十二 利潤・賃金及び物価の一般的関係」 TOP ・p219商品の価値から、その生産に使用された原材料や生産手段の価値を補填する価値を差し引くなら、(w=c+v+m) →(W-C(c1+c2)=(v+m))その価値の残りの部分は、労働者によって付加された労働量(v+m)に帰着する。 彼の労働時間によって規定されるこの与えられた価値こそ、労働者と資本家とがそれぞれの分け前を引き出さなければ ならない唯一の元本であり、賃金と利潤とに分割される唯一の価値である。明らかに、この価値そのものは、2人の当事 者間でどのように分割されようと、変わるものではない。資本家と労働者とは、この限られた価値を分割するしかない のだから、一方の取り分が多ければ他方の取り分はそれだけ少なくなる。賃金が下落すれば、利潤は上昇する。 その逆もまた同じである。・・・賃金の全般的上昇は一般的利潤率の低下をもたらすのであって、価値には影響しないので ある。 ・p221究極的には、諸商品の市場価格を規制するに違いない諸商品の価値は、専らそれに凝固した総労働量によって規定 されるのであって、支払労働と不払労働とへのこの量の分割によって規定されるのではない。 ・しかしだからと言って、例えば8時間中に生産される諸商品の価値が不変であるという事にはならない。所与の労働時間 内に、あるいは所与の労働量によって生産される商品の数ないし分量は、充用労働の生産力に依存するのであって、労働 の長さに依存するのではない、からである。例えば、より大きな生産力のもとでは、1時間の労働が1pの糸に実現され、 より小さな生産力のもとでは、6時間の労働が1pの糸に実現されるだろう。 ・1pの糸の価格は、それに支出された総労働量によって規制されるのであって、この総労働量が支払労働と不払労働とに 分割される割合によって規制されるのではないからである。高価格の労働が安い商品を生産することもあれば、低価格の 労働が高い商品を生産することもあるという事実は、それは単に、商品価値が、それに支出される労働量によって規制さ れ、商品に支出される労働量は充用労働の生産力に全く依存しており、従って、労働の生産性が変化すれば変化するとい う一般法則を表現したものに他ならないのである。(12了) (p223) TOP |
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「科学的社会主義」講座(古典学習会) 『賃金・価格および利潤』 続き A TOP「十三 賃金を値上げし又はその値下げを阻止しようとする企ての主要な場合」 TOP |
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※参考文献として『インターナショナル』<科学的社会主義の古典選書>から引用する。(p46〜p64)(2024.12.01) ![]() −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− @「文献解説」(『インターナショナル』)p46 ・国際労働者協会の第一回大会は、1866年9月3日〜8日に、スイスのジュネーブで開催された。中央評議会は、1866年7月17日の 会議で、大会の議事日程の諸項目について評議会としての詳しい方針を作成することを決め、7月31日の会議では、マルクスが常任 委員会の委託を受けてこの問題の報告を行った。中央評議会を代表して大会に出席する代議員のために、マルクスが、会議の後で 書いた文書(1866年8月末執筆)が、この「指示」である。(マルクスは大会には出席しなかった) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− A『賃労働と資本/賃金・価格・利潤』(光文社文庫・森田成也(もりたせいや)訳)の解説(8.暫定中央評議会代議員への指針p388) ・この指針は『賃金・価格・利潤』を理論的・実践的に補完するものであり、「暫定」とついているのは、まだ第一回大会が開かれていな かったからである。 ・この「指針」では、労働時間の制限、労働組合の「過去・現在・未来」など、『賃金・価格・利潤』では十分に展開されていない児童労働 の問題や『資本論』第3巻で取り上げられている協同組合の問題、あるいは課税制度の問題など、他の種々の経済的問題についても 実践的な指針が詳論されている。・・・ここでは「いくつかの論点」(p390)を取り上げる。 (1)マルクスが労働者の状態を具体的に知るために国際的なアンケート調査を組織的に実施しようとしていること。それは、労働者の 年齢や性別、人数、賃金形態、賃金水準、労働時間、夜間労働の有無、具体的な職場環境、などである。マルクスはこの14年後の 1880年に、合計99項目に及ぶ極めて詳細な労働者アンケートを作成している。(マルクス「労働者へのアンケート」『ME全集19』p227) (2)「労働日の制限について」・・・単に労働時間の絶対的な長さだけでなく、拘束時間とその時間帯に関しても(法的な)規制が必要と。 (3)児童労働規制について・・・一概に児童労働禁止ではなく、適度に教育と生産的労働とを合理的な環境のもとで結合することこそが 子供の知的・身体的発達につながるとマルクスは考えている。さらにその文脈のなかで、法律(国家権力)によって規制を行うことの 是非を一般的に論じている点が非常に重要である。(森田訳p262)・・・法律は万能ではないにせよ、労働者の権利や基本的人権を 保護する法律を作ることは、極めて重要なのである。 (4)協同組合の意義について・・・マルクスは資本主義に代わる社会像として、「自由で平等な生産者たちの連合体(アソシエーション)」を 提唱しているが、これは全く抽象的なものであって、それを実際に具体化するのは、現実の革命過程における試行錯誤によるものと 想定されていたと思われる。またそれをマルクスは「共和主義的」と呼んでいるが、その意味は・・・人民自身の集団的自己統治という 意味が込められていると思われる。 (5)『賃金・価格・利潤』における労働組合論を補完する形で詳しく労働組合の意義について語られている。特に重要なのは、未組織 労働者の組織化を強調していること。最も賃金の低い職種の労働者に注意を払うように促していることである。逆に今日から見て物足り なく見えるのは、組合の直接的意義が賃金と労働時間に限定されていて、雇用の安定性や職場における労働者の人権などの問題が 看過されていることである。(p394) ・p395「労働組合とコミューン」・・・以下は森田氏の解説です。 ・「マルクスは、労働組合が単に当面する経済的問題に専念するべきではなく、労働者階級を解放するための組織的中心になるように 促している。・・・しかし、それは明らかに過度な期待であった。労働組合はその為の準備をある程度なしうるとしても、労働組合それ自体 は、・・・その目的の点でも組織的基盤の点でも、狭く柔軟性に欠けるものだった。そのためには労働組合や政党のような恒常的団体と は別に、より包括的な大衆的自治機関が必要であった。そしてそのような大衆的自治機関は、この「指針」が書かれた5年後の1871年 にフランスのパリ・コミューンとして初めて出現するのだが、マルクスはそれをプロレタリア政府の萌芽であることを看取した。このような 労働者の大衆的自治機関は、その後、ロシアのソビエト、ドイツのレーテなどとして発展を遂げた。これらの試みはその後崩壊してしまう のだが、その経験と実践的教訓は今日でも有益であろう。これらの新しい機関は、組織労働者を中心としながらも、膨大な未組織労働者 や農民、兵士、知識人、小市民、主婦、学生などをも包含する柔軟な民主主義的機関であり、参加者自身による自己統治機関であった。 そして、労働や生産の問題だけでなく、生活問題や民族問題、戦争と平和、民主主義の問題などをもその課題のうちに包括していた。 労働者階級解放の闘いは、生産における支配と従属や生産手段の所有問題に限定されないのであり、あらゆる社会的・政治的・文化的 諸問題を包摂する必要があるのである。」と。(森田p396) TOP (8.暫定中央評議会代議員への指針)(『インターナショナル』新日本出版社p48〜p64) TOP p48 1.国際協会の組織 暫定中央評議会は、暫定規約に示された組織計画をだいたいにおいて提案する。・・・この組織計画は・・・様々な国の条件に容易に 適応させうるものだということはこの2年間の経験によって証明されている。・・・われわれは協会員に、共済組合を設立して組合相互の 間に国際的な連携をうち立てるよう呼び掛ける。 p48 2.労使の闘争における、協会の仲介による国際的協力 (イ)この問題は、国際協会の全活動を含んでいる。従来さまざまな国の労働者階級がばらばらに行ってきた解放の努力を結合し、 普遍化するということが、協会の目的だからである。 (ロ)ストライキやロックアウトの場合に、資本家は、現地の労働者とたたかう道具として外国人労働者を悪用することを常にはばからない が、この資本家の陰謀を阻止することは、本協会がこれまで効果的に果たしてきた特別の機能のひとつである。様々な国の労働者が、 同じ解放軍に属する兄弟・戦友として互いに感じるだけでなく、そういう行動をとるようにすることが、本協会の大目的のひとつである。 (ハ)われわれが提案する「国際的協力」の一大事業は、労働者階級自身の手で、すべての国の労働者階級の状態の統計的調査を 行うことである。活動において成功を収めるためには、活動の対象となる素材を知らなければならない。労働者は、このような大事業を 創始することによって、自分自身の運命を自分の手に握る能力をもつことを証明するであろう。(『インターナショナル』p49) それゆえ、われわれは次の事を提案する。本協会の支部が存在するあらゆる地域で、この仕事にただちに着手し、添付した調査要綱 に挙げられている各項目について事実資料を集めること。大会がヨーロッパとアメリカ合衆国のすべての労働者に対して、労働者階級 の統計資料の収集への協力を要請すること、報告と事実資料は中央評議会に送付すること、中央評議会はそれを加工して一般報告 を作成し、上記の事実資料を付録として添付すること。この報告は、付録と共に次の年次大会に提出し、大会の承認をうけたのち、 協会の費用で印刷に付すること。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ・p50 「一般調査要綱」(もちろん、各地方で適宜に修正して差し支えない) (1)産業の名称 (2)従業員の年齢・性別 (3)従業員数 (4)給料及び賃金 (イ)見習工。(ロ)日給か出来高賃金か。請負人の支払う賃金率。週および年平均賃金。 (5)(イ)工場における労働時間。(ロ)小企業家や家内労働のもとでの労働時間。(ハ)夜間労働と昼間労働 (6)食事時間と待遇。(7)職場と作業の条件−−人員の過密、換気の不良、採光の不足、ガス照明の使用、清潔さ、等々。 (8)仕事の種類。(9)作業が肉体の状態に及ぼす影響。(10)道徳状態。教育。(11)業態−−季節的事業か、それとも1年を通じて 多少とも均等に操業しているか、景気の変動が激しいかどうか、外国の競争を受けているかどうか、主として国内市場目当ての事業か、 それとも外国市場目当ての事業か、等々。 ・p51 3.労働日の制限 労働日の制限は、それなしには、一層進んだ改善や解放の試みがすべて失敗に終わらざるを得ない先決条件である。 それは、労働者階級、即ち、各国民中の多数者の健康と体力を回復するためにも、又この労働者階級に、知的発達をとげ、社交や 社会的・政治的活動に携わる可能性を保障するためにも、是非とも必要である。われわれは労働日の法定の限度として8時間労働を 提案する。・・・この刻限の長さは、8時間労働に食事の為の休憩時間を加えたもので決定されなければならない。(食事時間等の為に 1時間とすれば法定の就業時間は9時間としなければならない。)夜間労働は、法律に明示された事業または事業部門で、例外として のみ許可すべきである。方向としては、夜間労働の完全な廃止をめざさなければならない。・・・女性については、夜間労働はいっさい 厳重に禁止されなければならない。 ・p52 4.年少者と児童(男女)の労働 労働者は自由な行動者ではない。労働者はあまりにも無知なため、自分の子供の真の利益や人間の発達の正常な条件を理解できない 場合さえ非常に多い。しかし、労働者階級の啓蒙された部分は、自分の階級の将来、従って又、人類の将来がひとえに若い労働者 世代の育成に懸かっていることを十分に理解している。なによりもまず、児童と年少労働者を現制度の破壊的影響から救ってやらなけ ればならないことを彼らは知っている。これは、社会的理性を社会的な力に転化することによってしか成し遂げられない事であり、 そして現在の事情のもとでは、国家権力によって施行される一般的法律による以外には、この転化を実現する方法は存在しない。 こうした法律を実施させても、労働者階級は政府権力を強めることにはならない。それどころか、労働者階級は、現在、彼ら自身に対して 行使されているこの権力を、彼ら自身の道具に転化するのである。労働者階級は、数多くのばらばらな個人的努力によっては、どれだけ 多くの努力を払って獲得しようとしてもむだなものを、一般的な一行為によって成し遂げるのである。 この立場からわれわれは、労働が教育と結合されないかぎり、両親や企業家に年少者の労働の使用を許してはならないと主張する。 われわれは教育という言葉で、3つの事を理解している。 第一、知育 第二、体育−−体操学校や軍事教練によって行われている種類のもの。 第三、技術教育−−あらゆる生産工程の一般原則を教え、同時に児童と少年にあらゆる職業の基本的な道具の実地の使用法や取 り扱い方の手ほどきをするもの。 ・p54 知育、体育及び技術教育の課程は、年少労働者の年齢に応じて、次第に程度を高めていかなければならない。技術学校の 費用の一部は、その製品の販売によって賄われなければならない。有給の生産的労働、知育、肉体鍛錬及び総合技術教育の結合 は、労働者階級を上流階級や中流階級の水準をはるかに越えた水準に高めるであろう。 ・p54 5.協同組合労働 国際労働者協会の任務は、労働者階級の自然発生的な運動を結合し、普遍化することであって、・・・空論的な学説を運動に指示し たり押しつけたりすることではない。従って、大会は特殊な協同組合制度を唱道すべきではなく、若干の一般原理を明らかにするだけ にとどめるべきである。 (イ)われわれは、協同組合運動が、階級敵対に基礎をおく現在の社会を改造するひとつであることを認める。この運動の大きな功績 は、資本に対する労働の隷属にもとづく、窮乏を生みだす現在の専制的制度を、自由で平等な生産者の連合社会という、福祉をもた らす共和的制度と置き換えることが可能だということを、実地に証明する点にある。 (ロ)しかし、協同組合制度が、個々の賃金奴隷の個人的な努力によってつくりだせる程度の零細な形態に限られるかぎり、それは 資本主義社会を改造することは決してできないであろう。社会的生産を自由な協同組合労働の巨大な、調和ある一体系に転化する ためには、全般的な社会的変化、社会の全般的条件の変化が必要である。この変化は、社会の組織された力、即ち、国家権力を、 資本家と地主の手から生産者自身の手に移す以外の方法では、決して実現することはできない。 (ハ)われわれは労働者に、協同組合商店よりは、むしろ協同組合生産にたずさわることを勧める。前者は現在の経済制度の表面に ふれるだけであるが、後者はこの制度の土台を攻撃するのである。 (ニ)われわれは、実例と教導との双方によって、言い換えれば、新しい協同組合工場の設立を促進することと、また説明し説教する こととの双方によって、協同組合の原理を宣伝するために、全ての協同組合がその共同収入の一部をさいて基金をつくることを勧告 する。 (ホ)協同組合が普通の中間階級的(ブルジョア的)株式会社に堕落するのを防ぐため、協同組合に働く全ての労働者は、株主で あってもなくても、平等の分け前を受け取らなければならない。単に一時的な便法として、低利の利子を株主に支払うことには、我々 も同意する。 ・p56 6.労働組合。その過去、現在、未来 TOP (イ)その過去。 資本は集積された社会的な力であるのに、労働者が処理できるのは、自分の労働力だけである。従って、資本と労働の間の契約は、 決して公正な条件に基づいて結ばれることはありえない。それは、一方の側に物質的生産手段と労働手段の所有があり、反対の側に 生きた生産力がある一社会の立場からみてさえ、公正ではありえない。労働者のもつ唯一の社会的な力は、その人数である。しかし、 人数の力は不団結によって挫かれる。労働者の不団結は、労働者自身の間の不可避の競争によって生みだされ、長く維持される。 最初、労働組合は、この競争をなくすか少なくとも制限して、せめて単なる奴隷よりはましな状態に労働者を引き上げるような契約条件 を闘いとろうという労働者の自然発生的な試みから生まれた。だから、労働組合の当面の目的は、日常の必要を満たすこと、資本の 絶え間ない侵害を防止する手段となることに、限られていた。一言で言えば、賃金と労働時間の問題に限られていた。労働組合の このような活動は、正当であるだけでなく、必要でもある。現在の生産制度(資本主義的生産様式)が続く限り、この活動なしにすます ことはできない。反対に、この活動は、あらゆる国に労働組合を結成し、それを結合することによって、普遍化されなければならない。 他方では、労働組合は、自らそれと自覚せずに、労働者階級の組織化の中心となってきた。それはちょうど中世の都市やコミューン が中間階級(ブルジョアジー)の組織化の中心となったのと同じである。労働組合は、資本と労働のあいだのゲリラ戦にとって必要で あるとすれば、賃労働と資本支配との制度そのものを廃止するための組織された道具としては、さらに一層重要である。 (ロ)その現在。(p57) 労働組合は、資本に対する局地的な、当面の闘争にあまりにも没頭しきっていて、賃金奴隷制度そのものに反対して行動する自分の 力をまだ十分に理解していない。このため、労働組合は、一般的な社会運動や政治運動からあまりにも遠ざかっていた。だが、最近に なって、労働組合は自分の偉大な歴史的使命にいくらか目覚めつつあるようにみえる。それは、たとえば、イギリスの労働組合が近年 の政治運動に参加していること、合衆国の労働組合が自分の役割について一層広い見解を抱いていること、さらに最近シェフィールド で開かれた巨大な労働組合代表者会議が次のような決議を行ったことからみて、明らかである。 「本会議は、すべての国の労働者を1つの共通の兄弟の絆で結びつけようとする国際協会の努力を十分に評価し、全労働者の進歩と 福祉にとって協会が必要欠くべからざるものであることを確信して、本会議に代表を送った各組合に、国際協会への加盟を心から勧告 する。」 (ハ)その未来。(p58) いまや労働組合は、その当初の目的以外に、労働者階級の完全な解放という広大な目的のために、労働者階級の組織化の中心と して意識的に行動することを学ばなければならない。労働組合は、この方向をめざすあらゆる社会運動と政治運動を支援しなければ ならない。みずから全労働者階級の戦士、代表者をもって自認し、そうしたものとして行動している労働組合は、非組合員を組合に 参加させることを怠ることはできない。労働組合は、異常に不利な環境のために無力化されている農業労働者のような、賃金の最も 低い業種の労働者の利益を細心に図らなければならない。労働組合の努力は狭い、利己的なものでは決してなく、踏みにじられた 幾百万の大衆の解放を目標とするものだということを、一般の世人に納得させなければならない。 ・p59 7.直接税と間接税 (イ)課税の形態をどんなに変えても、労働と資本の関係には少しも重要な変化をもたらすことはできない。 (ロ)にもかかわらず、2つの課税制度のうち1つを選ぶべきだとすれば、われわれは間接税を全廃して、全般的に直接税と置き換える ことを勧告する。その理由は次のとおりである。 <直接税のほうが徴収に費用がかからず、また生産を妨害しないこと。> 間接税の場合には、商人が間接税の額だけでなく、間接税の支払いの為に前払いした資本に対する利子と利潤までも商品価格に 付け加えるので、商品価格が高くなること。間接税では、個人が国家に支払う額がどれだけかということは、その個人に隠されている のに、直接税はあからさまで、ごまかしがなく、どんな頭の悪い人間にも誤解のおこりようがないこと。だから、直接税は各人を刺激し て、統治者を監督しようという気持ちにさせるが、間接税は自治への志向を一切押しつぶす。 ・p59 8.国際的信用(略) ・p60 9.ポーランド問題・・・注8(p63)・・・「国際政治の問題」(「諸民族の自決の権利を実現することによってヨーロッパにおける モスクワの影響を除去する必要性ならびに民主主義的および社会的基礎のうえに立つポーランドの再興について」) ・・・マルクス:1865年11月20日ユング宛の手紙参照 ・p60 10.軍隊(略) ・p61 11.宗教問題(略) (2025.2.17、古典学習会「暫定中央評議会代議員への指針」の感想) Mさん、今日の読書会、お疲れ様でした。労働者階級の実態把握の為に行う「統計調査」は「自分自身の運命を自分の手に握る」という ソクラテス的な哲学がありました。また、8時間労働制の問題、協同組合は商業より生産に携わることが現経済制度を攻撃する意味でより 根底的であること、農業労働者のような低賃金労働者の利益を慮ること、組合の努力は利己的なものではなく、幾百万の大衆の解放を 目標とする事を、一般世人に納得させなければならない事、最後に、直接税と間接税では、後者は個人が国家に支払う額が隠されてお り、おしなべて税を通じた大衆の”自治”への志向を一切押しつぶされる事にマルクスは警鐘を鳴らしています。税制のもつ主体的要素を 剔抉している点で私は高く評価しています。消費税は減税ではなくきっぱり廃止ですね。そもそも生活費非課税は、憲法的原則です! 以上、今日の読書会の感想です。詳細はMYHPに掲載しているのでご覧いただければ幸いです。 次回は、資本論に取り組みます。次回もよろしくお願いします。今日はお疲れ様でした。(2025.2.17、LINEより) ※ なお、「九 ポーランド問題」p60については、今世紀に起きたロシアによるウクライナ侵略戦争(2022.2.24)を彷彿とさせるものがあり、 マルクスの対応に注目したいです。(1866年の暫定中央評議会代議員への「指示」から引用) ・・・曰く:「(イ)なぜヨーロッパの労働者はこの問題をとりあげるのか?それは、まず第一に、中間階級の著作家や扇動家が、大陸のあら ゆる民族、いなアイルランドをさえ庇護しながら、この問題については黙殺の陰謀を巡らしているからである。この沈黙はなんによるもの で、またどこからくるものか?貴族とブルジョアの双方が、背後にひそむ暗黒のアジア的強国(ツアーリズム・ロシア)こそ、潮のように押し 寄せる労働者階級の台頭を防ぐ最後の拠り所だと考えているためである。この強国を現実に打破することは、ポーランドを民主主義的 基礎の上に再興することによってのみ、可能である。 (ロ)現在の変化した中央ヨーロッパ、特にドイツの状態のもとでは、民主主義的ポーランドをもつことは、これまでのいつにもまして必要 になっている。民主主義的ポーランドがなければ、ドイツは神聖同盟の前哨となり、民主主義的ポーランドが存在すれば、ドイツは共和 主義的フランスの協力者となるであろう。このヨーロッパにおける大問題が解決されないうちは、労働者階級の運動はたえず妨げられ、 阻止され、その発展は遅らされるであろう。」 ・・・科学的社会主義の古典選書「インターナショナル」p60参照。・・・ポーランドをウクライナに置き換えて考えたい。 TOP |
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![]() なお、資本論第3巻の理解にとって重要な手紙で、1868.4.30のマルクスのエンゲルス宛手紙がある ので補論として掲載する。(そこでは剰余価値(率)から利潤率の展開が示されている。) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 『「資本論」に関する手紙』から抜粋(No.1)(amebaブログより転載) (※剰余価値(率)から利潤率の展開が示されている。) ここでは、「資本論」第3巻の全体像を理解する為に、マルクスからエンゲルスへの手紙 (『「資本論」に関する手紙』)(法政大学出版局・岡崎次郎訳)から抜粋してマルクスの解説を掲載します。 この手紙をじっくり読めば資本論第3巻の構造が明確になってきます。 1,No.101(P200)エンゲルスからマルクスへの手紙(1868.4.26) 利潤率と貨幣価値との件はみごとだ。ただ僕に分からないのは、君がどうしてm/(c+v)を利潤率と見なしうるかということだ。 というのは、m(剰余価値)は、それを生産する産業家のポケットに入るのではなく、商人その他と分けられねばならないからだ。 君がここでは全事業部門を一緒に考えて、mが如何に工場主、卸売商、小売商、等々の間に分けられるかに拘わらないのならば、 話は別だが。・・・400c+100v+100mと書くのは全く結構だ。 2,No.102(P200)マルクスからエンゲルスへの手紙(1868.4.30)(上記への返事) TOP (1)問題の場合については、m(実現・剰余価値)が生産物価値そのもののうちに生産されている剰余価値よりも量的に大きい か小さいかはどうでもよいことだ。 (即ち、エンゲルスが自答しているように、「拘わらない」という事。)たとえば 100m/(400c+100v)=20%で、これが貨幣価値の10%低下によって、 110m/(400c+110v)になるとすれば、資本家的生産 者が彼自身の生産した剰余価値の半分しかとりこまないかどうかは、どうでもよいことだ。なぜならば、その場合には彼の利潤率は、 55m /(400c+110v)で、以前の50m/(400c+100v)よりも大きいからだ。 ※ここでmが保持されるのは、利潤がどこからくるかを表現そのものにおいて質的に示すためだ。 (2)とはいえ、君が利潤率の展開方法を知る事はものの順序だ。だからごく一般的に道筋を示そう。 第2巻では、資本の流通過程が、題1巻で展開された諸前提のもとで述べられる。 つまり、流通過程から生ずる新たな諸形態規定、即ち、固定資本と流動資本、資本の回転、等々だ。 第1巻では我々は、価値増殖過程で100pが110pになれば、この110pは、それが新たに転化すべき諸要素を市場ですぐに見出すものと 仮定した。しかるに今や、この見出すことの諸条件、従って、種々の資本、諸資本部分及び所得(=m)の相互の社会的な絡み合いが 研究課題だ。 TOP 次に第3巻では我々は、その種々の諸形態及び相互に分離される諸構成部分への剰余価値の転化に移る。 (※以下マルクスは、資本論第3巻「資本主義的生産の総過程」の理論構成の要点をエンゲルスに解説。) T.利潤は我々にとってさしあたりはただ剰余価値を著す1つの別名又は別範疇であるにすぎない。 労働賃金という形態によって全労働が支払われたものとして現れるので、その不払い部分は必然的に労働からではなく資本から、 そして資本の可変部分からではなく、総資本から生ずるように見える。(物象化的隠蔽) この事によって、剰余価値は利潤という形態を与えられるが、ここでは一方と他方との間の量的差異はない。 利潤はただ剰余価値の幻想的な現象形態であるにすぎない。(利潤の本質) さらに、商品生産において消費された資本部分(商品生産に前貸された資本−不変(c)及び可変(v)−から固定資本の充用 はされたが消費はされなかった部分を差し引いたもの(=減価償却部分)は、今や商品の費用価格(C+V)として現れる。 何故なら、資本家にとっては、商品価値のうち、彼にとって費用を要する部分が商品の費用価格であって、これに反して商品に 含まれる不払い労働(m)は彼の立場からすれば、商品の費用価格には入らないからである。 TOP 剰余価値(m)=利潤(p)は、今や商品の費用価格(c+v)を超えるその販売価格の超過分として現れる。 商品の価値をWとし、その費用価格をKとすれば、W=K+m 従ってWはKよりも大きい。費用価格という新たな範疇は その後の展開において非常に重要だ。資本家は商品をその価値(W)以下で売ってもその費用価格(K)以上でありさえすれば) 利益をあげうるという事が初めから出てくる事であり、これが、競争によって引き起こされる平均化の理解の為の根本法則なのだ。 だから利潤はさしあたりはただ形態的に剰余価値と異なるだけだが、これに反して、利潤率(P')は初めから実質的に剰余価値率 (m')とは異なる。一方(m')は、m/v 他方(P')は、m/(c+v)で、前者は後者よりも大きいから利潤率が剰余価値率より も小さい(c=0でない限り)ということは初めから出てくる事だから。 しかし、第2巻を考慮に入れれば次のようになる。 我々は、利潤率を一年間前貸された資本(回転した資本と区別しての)に対する1年間に生産された剰余価値の比率を意味する。 従って、m/(c+v)はここでは年利潤率だ。 TOP 次いで研究するのは、剰余価値率が同じままでも資本の回転の相違が利潤率を変化させるという事だ。 だが又、回転を前提し、m/(c+v)を年利潤率とした上で、我々が研究するのは、この利潤率が、剰余価値率の諸変化から は独立に、剰余価値量からさえも独立に、変化しうるという事だ。 m即ち、剰余価値量は、剰余価値率に可変資本を乗じたもの (m’=m/v)→(故にm=m’×v)に等しいから、 剰余価値率をrとし、利潤率をp'とすれば、p’=r・v/(c+v)となる。 ここで我々はp’、r、v、cという4つの変量を有し、そのうちのどれか3つを操作すれば常に第4の未知量を求めることが できる。ここからは、剰余価値率の運動とは異なる限りでの・・・利潤率の諸運動についてのあらゆる可能な場合が出てくる。 こうして発見された諸法則は、例えば原料価格の利潤率への影響を理解する為に極めて重要なものだ。 そして、剰余価値が後に生産者その他の間で如何に分割されようとも、これらの法則の正しさは失われない。 この分割(剰余価値の諸階級への分配)はただ現象形態を変えうるだけだ。 しかも、m/(c+v)が社会的資本に対する社会的に生産された剰余価値の比率として取り扱われる場合には、これらの法則は そのまま直接に適用されうる。(以上、『「資本論」に関する手紙』p200からp203のT、了)(U以下続く)TOP |
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マルクスからエンゲルスへの手紙(1863.7.6)![]() |
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マルクスの自筆「経済表」について TOP マルクスの自筆「経済表」日本語訳は自筆の下段を参照してください。 第一部門は生活手段、第二部門は機械と原料(生産手段)、第三部門は総再生産です。 総再生産過程の経済表は、生産物を巡る社会的諸階級の相互関係が一目瞭然と判ります。 マルクスが言うようにこの経済表は、「資本論」最後の章に総括として現れるもので、資本主義的生産様式をとる歴史的社会の鑑と いえるものとです。銘記する所以です。(日本語訳は下段参照) これは前回のマルクス経済表の解説で「資本論について関する手紙」P129〜P134に翻訳があります。 ここでは、関本さんのブログから拝借しました。 以下、マルクスの経済表の解説でエンゲルスに宛てた手紙から抜粋です。(1863.7.6) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− (中略) 同封の「経済表」は僕がケネの表の代わりに立てるものだが、もし君がこの暑さのなかでもできるなら、いくらか念入りに見て くれたまえ。そして、なにか疑念があったら知らせてくれたまえ。これは総生産過程を包括している。 君も知るように、アダム・スミスは「自然価格」または「必要価格」を賃金と利潤(利子)と地代とから構成している− したがって全体を収入に解消させている。この不合理はリカードにも伝えられている。といっても、リカードは地代をたんに偶然的な ものとしてカタログから除いてはいるのだが。ほとんどすべての経済学者がこれをスミスから受け継いでいる。そして、これに反対す る経済学者らはまた別の不条理に陥っている。 スミス自身も、社会にとっての総生産物をたんなる収入(年々消費されうるもの)に解消させることの不合理は感じていて、他方 で各個の生産部門については価格を(原料や機械など)と収入(労働、利潤、地代)とに分解している。 そうすると、社会は毎年新しく資本なしで始めなければならないことになるだろう。 ところで、僕の表について言えば、これは僕の本の最後のうちの一章のなかに総括として載せるものだが、そこでは理解のために 次のことが必要だ。 (1)数字はどうでもかまわない。何百万かを意味するものとしてもよい。 (2)ここで生活手段というのは、消費財源の中に年々はいって行く(または、この表からは除外されている蓄積がなければ消費財源 のなかにはいりうるであろう)すべてのもののことだ。 部類1(生活手段)では全生産物(七〇〇)が生活手段から成っており、したがって当然のこととして不変資本(原料や機械など)の 中には入っていかない。同様に部類2では全生産物が、不変資本を形成する諸商品から、すなわち原料や機械としてふたたび再生産 過程にはいっていく諸商品から、成っている。 (3)上昇線は点線になっており、下降線は直線になっている。 (4)不変資本は、原料や機械から成っている資本部分だ。可変資本は、労働と交換される資本部分だ。 (5)たとえば農業などでは同じ生産物(たとえば小麦)の一部分は生産手段を形成するが、他の一部分(たとえば小麦)は再びその 現物形態のままで(たとえば種子として)原料として再生産にはいっていく。だが、これは少しも事柄を変えるものではない。 というのは、このような生産部門は、一方の属性から見れば部類2のなかに現われ、他方の属性から見れは部類1のなかに現われる からだ。 (6)そこで、全体の要点は次のようになる。 部類1。生活手段。労働材料と機械(すなわち機械のうち損耗分として年間生産物のなかにはいって行く部分。 機械などの未消費部分は表のなかには全然現われていない)は例えば四〇〇ポンドに等しい。 労働と交換された可変資本=一〇〇は 三〇〇として再生産される。というのは、労賃を生産物で補填し、二〇○は剰余価値(不払剰余労働)を表わすからだ。生産物は 七〇〇であって、そのうち四〇〇は不変資本の価値を表わしているが、この不変資本は全部が生産物のなかに移っており、したがって 補填されなければならない。 可変資本と剰余価値との割合がこのようになっている場合には、労働者は労働日の三分の一では自分の ために労働し、三分の二では彼の天成の目上(natural speriors)のために労働する、ということが仮定されている。 つまり、一〇〇(可変資本)は、点線で示されているよぅに、労賃として貨幣で支払われる。労働者はこの一〇○をもって(下降線 で示されているように)この部類の生産物すなわち生活手段を一〇〇だけを買う。こうしてこの貨幣は第一部類の資本家階級に還流する。 剰余価値二〇〇は一般的な形態では利潤だが、これは、産業利潤(商業利潤を含む)と、さらに、産業資本家が貨幣で支払う利子と、 彼がやはり貨幣で支払う地代とに分かれる。 この産業利潤や利子や地代として支払われた貨幣は、それをもって第一部類の生産物が買われることによって、還流する(下降線で示 されている)。こうして、第一部類の内部で産業資本家によって投ぜられたすべての貨幣は、生産物七〇〇のうちの三〇〇が労働者 や企業家や金持ちや地主によって消費されるあいだに、彼のもとに還流する。第一部類に残っているのは、生産物の過剰分(生活手段 での)四〇〇と不変資本の不足分四〇〇とである。 部類2。機械と原料。 この部類の全生産物は、生産物のうち不変資本を補填する部分だけではなく、労賃の等価と剰余価値とを表わす部分も、原料と機械と から成っているので、この部類の収入は、それ自身の生産物においてではなく、ただ第一部類の生産物でのみ実現されることができる。 しかし、ここでなされているように蓄積を除外すれは、第一部類が第二部類から買うことができるのは、ただ第一部類がその不変資本 の補填のために必要とするだけの量であり、他方、第二部類はその生産物のうちただ労賃と剰余価値と(収入)を表わす部分だけを 第一部類の生産物に投ずることができる。こうして、第二部類の労働者たちはその貨幣=一三三1/3を第一部類の生産物に投ずる。 同じことは第二部類の剰余価値でも行なわれる。これは、第一部類におけると同様に、産業利潤と利子と地代とに分かれる。 こうして、貨幣での四〇〇が第二部類から第一部類の産業資本家のもとに流れて行き、そのかわりに第一部類はその生産物の残り =四〇〇を第二部類に引き渡す。 この貨幣四〇〇をもって、第一部類はその不変資本=四〇〇の補填のために必要な物を第二部類から買い、このようにして第二部 類には、労賃と消費(産業資本家自身や金持ちや地主の)に支出された貨幣がふたたび流れこんでいく。そこで、第二部類にはその 総生産物のうち五三三1/3が残っており、それをもって第二部類はそれ自身の損耗した不変資本を補填する。 一部分は第一部類の内部で行なわれ一部分は部類1と2とのあいだで行なわれる運動は、同時に、どのようにして両部類のそれぞれ の産業資本家たちのもとに、彼らがふたたび新たに労賃や利子や地代を支払うための貨幣が還流するか、ということを示している。 部類3は総再生産を表わしている。 部類2の総生産物はここでは全社会の不変資本として現われ、部類1の総生産物は、生産物のうちの、可変資本(労賃の 財源)および互いに剰余価値を分け合う諸階級の収入を補填する部分として、現われる。 ケネの表をその下に置いておいた。これはこの次の手紙で簡単に説明しよう。 失敬 君の K・M ついでに。エトガル・バウアーは職を得た − プロイセンの新聞局で。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−TOP 以上。 出所・経済表と解説:関本洋司氏の下記ブログ参照 http://plaza.rakuten.co.jp/yojiseki/24000 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− なお、ケネー経済表についての詳細は、平田清明氏の 「経済科学の創造」岩波をご覧ください。またWEB解説については、範式は http://members3.jcom.home.ne.jp/study-capital/hokoku-2/083b.html 解説は下記をご参照ください。 http://www.rikkyo.ac.jp/eco/research/pdf/papar/59_4_2.pdf −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−TOP |
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![]() ケネー経済表のマルクスによる解説(@) 出典は(マルクス・エンゲルス選集第14巻。『反デューリング論』・2篇第10章「批判的学史」) (@p416〜p425) ・p416マルクスは、『反デューリング論』・2篇第10章の「批判的学史」の中で、次のようにケネーの「経済表」を紹介している。 --------------------------------------------------------------------------------- ※フランソワ・ケネー(1694〜1774)経済表(1758) ※アダム・スミス(1723〜1790)国富論(1776) 「重農学派は、ケネーの『経済表』(1758年)という1つの謎をわれわれに残した。・・・ 一国の富全体の生産と流通とに関するフィジオクラート(重農主義者)の観念を一目で分かるように示す筈であったが、・・・この表は、 その後の経済学会にとっては極めて分かりにくいものであった。」と。 ・p420重農主義者の理論では、社会は次の3階級に分かれている。(1)生産的な、つまり現実に農業で働いている階級−借地農業者と 農業労働者。彼らが生産的と呼ばれるのは、その労働がある剰余即ち、地代を残すからである。 (2)その剰余を自分の物とする階級。地主やこれに従属する人々、国王や国家によって支給を受ける官吏、そして最後に10分の1税の 横領者という特殊な性質を持った寺院をも含む。」 ・p420簡単にする為に、第一の階級を「借地農業者」と呼び、第二の階級を「地主」、第三は、商工業階級、または不生産階級である。 不生産というのは、重農主義者の見解によれば、彼らは生産階級から提供された原料に対して、ただ彼らが生産階級から提供された 生活資料を消費するのと同じだけの価値しか付け加えないからである。 ・そこでケネーの『経済表』が明らかにしなければならないことは、一国(フランス)の年々の総生産物が、これら3つの階級の間に どのように流通し、また年々の再生産にどのように役立つか、ということである。 ・p421『経済表』の第一の前提は、ケネーの時代の意味での借地農制度とそれに伴う大規模農業とが一般に普及していること。その際、 手本となったのは、ノルマンディ、ピカルディなどフランスの二三州である。 ・従って、借地農業者は農業の現実的指導者として現れ、『経済表』では生産的階級全体を代表し、地主に対して貨幣地代を支払うの である。借地農業者総体は100億リーブルの投下資本または資産を持つものとされ、その内の五分の一つまり20億リーブルは、年々補填 される経営資本だとされているが、この見積もりは、前記諸州の最もよく耕作されている借地農場を標準としたものである。 ・p421その他の前提は次の通りである。(1)簡単化の為に、価格は不変で、単純再生産が行われる。(2)ただ1階級だけの内部で行われる 流通は除外され、単に階級間の流通だけが考慮される。(3)経営年度内に階級から階級へと行われる一切の売買は、ただ一個の総額に 総括されている、ということである。 ・最後に、ケネーの時代にはフランスでは、・・・農家本来の家内工業は、食料品以外の自分たちの必需品の大部分を調達したのであっ て、従ってここでは、それが農業の当然の付属物として前提されている、ということを記憶しておかなければならない。 ・p421『経済表』の出発点は、総収穫、つまり、『経済表』のすぐ上部に示されている年々の土地生産物から成っている総生産物、 またはその国、−ここではフランス−の「総再生産」である。この総生産物の価値量は、商業諸国民のもとでの土地生産物の平均価格 に従って評価され、50億リーブルとなっているが、この額は、当時の・・・フランスの農業総生産物の貨幣価値をほぼ言い表している。 ・p422だから、50億の価値をもつこの総生産物は、生産的階級の、つまり、百億の投下資本に対応する年額20億という経営資本を支出 してそれを生産した借地農業者の手中にある。 ・経営資本の補填に必要な、それ故また農業に直接従事する一切の人々の生計に必要な、農業生産物、つまり生活資料や原料等は、 現物のまま総収穫から控除されて新たな農業生産に支出される。価格の不変と単純再生産が前提されているから、総生産物のうち控除 されるこの部分の貨幣価値は、20億リーブルに等しい。それ故、この部分は一般的流通に入り込まない。(※) (※前提(2)により、流通は、それが1階級の範囲内だけで行われる流通は、別々の階級間で行われるのでない限りは、『経済表』から 除外されているからである。) ・p422総生産物から経営資本の補填を除けばあとには30億の剰余が残るが、うち20億は生活資料、10億は原料である。 借地農業者から地主に支払わなければならない地代は、20億である。どうしてただこの20億だけが「純性差物」または「純所得」の 見出しのもとにでてくるかは、やがて明らかになるであろう。 ・ところが、50億の価値をもつこの農業的「総再生産」−そのうち30億が一般的流通に入り込む−の他に、『経済表』の中に示された 運動が始まる以前に、なお国民の総「貯蓄」である20億の現金が借地農業者の手中にある。 事情はこうである。・・・ ・p423『経済表』の出発点は同時に一経済年度の終点をなすものであって、これに続いて新しい経済年度が始まる。 総生産物のうち流通に入るように定められた部分は、新年度中に他の2階級の間に分配される。 だが、これらの一年度全体にわたって行われる運動は、『経済表』にとっては、・・・一年度全体を一挙に含む行為のうちに総括される。 こうして、1758年の終わりには借地農業者階級が1757年に地代として地主に支払った貨幣つまり20億は、再びこの階級に流れ帰り、 これによってこの階級は、この金額を1759年に再び流通に投げ入れることができるのである。 ・p423地代を巻き上げる地主階級は、まず支払いの受取人の役割で現れる。ケネーの前提によれば、本来の地主は20億の七分の四だけ を受け取り、七分の二は政府に、七分の一は税受取人(官吏)の手にはいる。 ケネーの時代、寺院はフランス最大の地主であって、その上なお、他の一切の土地財産から十分の一税を受け取っていたのである。 ・p424「不生産的階級」が一年度に支出する経営資本(年前貸)は、10億の価値をもつ原料である。というのは、道具や機械などは、 この階級自身の生産物の内に入るからである。これらが『経済表』に無関係なのは、専らその階級内部で行われる商品流通と貨幣流通 がこれに関係しないのと同じことである。 ・不生産階級が原料を加工商品に転化する労働に対する報酬は、この階級が一部分は直接に生産階級から、一部分は間接に地主を通じ て受取る生活資料の価値に等しい。 この階級は、それ自身、資本家と賃金労働者とに分かれるとはいえ、ケネ−によれば一階級全体として、生産階級と地主階級との お雇いものである。 ・工業的総生産物とそれらの総流通とは、同様にして一個の全体に総括されている。それ故、『経済表』に示された運動の開始にあた っては、不生産的階級の年々の商品生産高はことごとく彼らの手中にあるということ、従って彼らの全経営資本、つまり10億の価値を もつ原料が20億の価値をもつ商品に転化され、この半分はこの転形中に消費された生活資料の価格を表すという事が前提されている。 (p425) (@了) ケネー経済表のマルクスによる解説(A)(選集14p425〜428) TOP ・p425こうして、われわれは、『経済表』によって示される運動が開始する際の、3つの階級の経済的地位を知ることができた。 ・生産階級は、彼らの経営資本を現物補填した後に、まだ30億の農業総生産物と20億の貨幣とを自由にしている。 地主階級は、当初は、生産階級に対する20億の地代請求権をもって現れるにすぎない。不生産階級は、20億の加工商品を自由にして いる。なお、重農主義者の見解では、これら3階級のうち2階級間だけの流通は不完全な流通と呼ばれ、3階級全体の流通は完全な流通と 名付けられている。 ・p425『経済表』について。 ・第一の(不完全な)流通。借地農業者は、地主に対して、反対給付なしに地主の受け取るべき地代を20億の貨幣で支払う。そのうち 10億で地主は借地農業者から生活資料を買う。こうして、借地農業者から地代として支払われた支出の半分は自分たちに流れ戻る。 ・p426第二の(完全な)流通。地主はその手中に残っている10億の貨幣で、不生産階級から加工商品を買い、この不生産階級はこうし て得た貨幣で借地農業者から同額の生活資料を買う。 ・第三の(不完全な)流通。借地農業者は10億の貨幣で不生産的階級から同額の加工商品を買うが、この商品の大部分は、農業用具や その他の耕作に必要な生産手段から成り立っている。不生産階級は、この同じ貨幣を借地農業者の手に返すが、それは、彼らが自分 たち自身の経営資本の補填の為に10億だけ原料を買うからである。そこで、借地農業者が地代支払いの為に支出した20億の貨幣は、 自分たちの手に戻り、こうして運動は完了した。 これによって、「地代として獲得された純生産物は経済的循環においてどうなるか」という大きな謎も解決されたのである。 ・p427(まとめ)この全経過は、たしかに「かなり簡単」である。流通に投じられるのは、借地農業者の手によっては、地代支払い の為の20億の貨幣と、三分の二が生活資料で三分の一が原料である30億の生産物とであり、不生産的階級の手によっては、20億の加工 商品である。20億の生活資料のうち、その半分は地主とその一味によって消費され、他の半分は不生産的階級によって彼らの労働の 支払いに消費される。10億の原料は、同じ階級の経営資本を補填する。20億の額の流通加工商品のうち、半分は地主の手にはいり、 他の半分は借地農業者の手に入るが、これは借地農業者にとっては、直接に農業的再生産から得られた、彼らの投下資本に対する利子 の、一つの転化形態にすぎない。 ・p428ところが借地農業者が地代を支払うために投入した貨幣は、彼の生産物の販売をつうじて自分の手に流れ戻るのであり、これ によって同一の循環が次の経済年度には新たに行われうるのである。 A了) TOP |
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