史跡巡りシリーズ・一宮友歩会・第95回例会レポート (
詳細版 資料版)
  知多編Part6 9km  (2023年4月1日(土)天気:晴れ) 下見 (2023年2月18日(土)7名/欠席)

コース:7:20自宅発−一宮駅8:01 -金山乗換 8:26--名和駅8:49着(名和駅南公園)9:20出発→
 →医王山薬師寺→長光寺→堂ノ前貝塚跡→船津神社→早川三郎記念碑→カブト山古墳八幡社貝塚名和古墳群
 →氷上姉子神社寝覚めの里碑込高新田堤防→名和駅→帰宅
  (11.11日下下見の歩数:27,981歩・下見2023.2.18、欠席・例会2023.4.1・歩)

一宮友歩会ホームページ 東海市ホームページ 東海市観光協会 東海市の文化財一覧表 文化財マップ(右上PDF)
208.10.18友歩会17回例会(細井平洲/聚楽園大仏)2012.10.14佐藤牧山と細井平洲(視察)
細井平洲(Wikipedia) 上杉鷹山(Wikipedia)全員集合 解説 コースマップ(yuho95map)


名鉄名和駅 95na50

名和駅南公園へ(出発式・受付) 95nawa02

名和駅南公園(受付)t4102

名和駅南公園(出発式挨拶)t4101

医王山薬師寺 95na03

長光寺 95na06

江戸末期に活躍した力士・浦右衛門の碑95nawa50

長光寺本堂 95nawa46

長光寺住職の説明t4103

長光寺住職の説明を聞く t4106

堂ノ前貝塚跡(船津神社丘陵の西側) 95na11

船津神社/拝殿 95nawa57

船津神社

船津神社内

船津神社

早川三郎記念碑 95na18

八幡社貝塚

八幡社

カブト山古墳 95nawa38

カブト山史跡公園95nawa34

名和古墳群 95nawa28

名和古墳の碑95nawa30

廻間公園の下に眠る古代の遺跡t4112

快晴の緑陽公園を行くt4113

氷上姉子神社へ 95na33

氷上姉子神社 95nawa18

氷上姉子神社西側の元宮にある宮簾媛宅址の碑t4121

MKさんから宮簾媛宅址の説明を聞く(資料版参照)t4123

氷上姉子神社 拝殿 95nawa21

寝覚めの里碑 95na39

込高新田堤防 95na41

込高新田堤防 95na42

替地公園 95na44

替地公園内の土地区画整理碑95na43

替地公園で解散式t4131

全員集合(氷上姉子神社前)t4127Top

八幡社貝塚 Top
カブト山古墳 Top
名和古墳群 Top
氷上姉子神社 Top
寝覚めの里 Top
込高新田堤防95na41w Top
解説 Top
2023.4.1 コース説明をしました(名和駅南公園(マップ参照))
(写真はKさんに送っていただきました。) Top
薬師寺(名和町北本郷31)  Top
開山は 牧翁運拾大和尚(1571年)昭和10年に改築。 
毎年秋に「八日薬師」・「十二薬師」があり多くの参詣者がある。
長光寺  Top
境内一帯に古くから製塩土器が散らばっており、1985年の発掘調査で海水を煮詰めて塩を
作った土器製塩遺跡が見つかった。古代にはこのあたりが海岸に近かったことが分かった。
また、境内には江戸時代末期の名和出身の力士・浦右衛門の碑や俳人の成田子襲の塚が
ある。
堂ノ前貝塚
船津神社の西側にある約50平米の小さな貝塚で、ハイガイ、サルボウ、カキ、シオフキなど
の貝類と縄文時代晩期から江戸時代までの土器、陶磁器、石器などが出土している。
古代には海岸に近かったことを示している。
船津神社  Top
この地は、第12代景行天皇の御子日本武尊ご東征の時、伊勢より海を渡られて、ここに
御船をおつけになり、なわで船を松の木につながれたことによって、名和と船津の地名が
出来たとされる。
カブト山古墳
古墳時代前期に造られた円墳(東西43m・南北49m・高さ4.5m)銅鏡、管玉、石釧、鉄刀
などが出土した。尾張南部地方で最も早く築かれており、あゆち潟と伊勢湾を治めた首長
の墳墓と考えられる。(東海市の文化財・2020.3改訂)
名和古墳群
緑陽小学校の南の道を東に入った丘陵の上に、古墳時代後期(6世紀前半)に造られた
円墳が3基ある。この地域の有力な豪族の墳墓として築かれた。埋蔵品は、東海市立郷土
資料館に展示されている。
氷上姉子神社
愛知県名古屋市緑区大高町火上山にある神社。式内社で、旧社格は郷社。
現在は熱田神宮の境外摂社。「氷上山(火上山)」と称される丘陵上に鎮座し熱田神宮の
創祀以前に草薙剣(三種の神器の1つ)が奉斎された地といわれる。
地元では「お氷上さん」と呼ばれ信仰されている。延長5年(927)に編纂された『延喜式』
にも氷上姉子神社の名前があり、古くから格式のあるお社であった。
(東海市の文化財・2020.3改訂)
寝覚めの里碑
地名の起こりは、日本武尊と宮簾媛命との恋物語の伝説があり、このあたりが海辺に
近かったことから打ち寄せる波の音に目覚めることがあり、いつしか寝覚めの里とよばれる
ようになったと伝えられている。
込高新田堤防(Web参照こちらもご覧ください。
新田とは…新たに田や畑などとするため開墾して出来た農地のことである。
その開墾までの流れを新田開発という。

新田堤防について…干潟に堤防を築いて海水の侵入を防ぎ、堤防の内側を乾燥
させて農地を新たに作る。
またこの堤防は洪水を防ぐための防災用としての役割も果たしました。

新田開発について…用水・干拓工事などにより、原野や潟湖などに耕地を開発する
こと。特に江戸時代は、幕府・諸藩の年貢増収策として盛んに行なわれた。 
その成立の事情によって、土豪開発新田、町人請負新田、代官見立新田、村請新田
などに分類される。
全員集合(氷上姉子神社) Top


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