一宮友歩会・第97回ウオーク例会   (
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 史跡巡り名古屋編Part15 7km (2023.7.1)
山王駅、広見憩いの杜、中川運河、松重閘門 松重閘門説明 天王崎天王社元文3年(1738年)の名古屋古図五条橋説明
鎌倉街道 古代東海道 八角堂(江戸時代と現在)

山王駅、広見憩いの杜、中川運河、松重閘門  Top
松重閘門説明  top

庄内川と都心をつなぐ堀川と、名古屋港と都心をつなぐ中川運河とを結ぶ水運施設 top
下図は天王崎天王社(右上)付近の堀川の賑わい図(舟で物資が運ばれている様子がよく分かる) topへ
その下の図は、1596年、慶長以前(名古屋城築城以前)の名古屋村古図面



慶長(名古屋城築城)1596年以前の名古屋村古図面 (名古屋氏が治めていたというお城跡柳御丸が名古屋城築城予定地)top 洲崎神社Web参照
州崎神社(Web)   topへ 洲崎神社(すさきじんじゃ)は名古屋市中区栄にある神社で、「広井天王」や「牛頭天王」とも呼ばれる。 江戸時代、洲崎の天王祭は東照宮時代祭と並ぶ二大祭であった。 由緒:太古この地は入江で洲崎になり、地神(石神)が祀られていた。貞観年間、石神にみちびきにより、 出雲から素戔嗚尊がこの地に遷座、奉斎された。名古屋城築城以前は現在の栄一丁目全域が社地であった。 築城後、社地には武家屋敷が建てられ、境内に堀川が掘削されるなど大きく縮小した。 江戸時代は尾張十社の民社総社的立場にあり、皇室、公家、徳川家より奉納が多数あった。 明治45年、当社に隣接し石神を祀る石神神社を合祀。   topへ その他のWEB解説参照
元文3年(1738年)の名古屋古図  topへ 黄色のマーク(天王)が現在の洲崎神社。堀川上部の緑色(名古屋城西側)が掘止めである。 元文3年(1738年)の名古屋古図 topへ
江戸時代名古屋城下町(東照宮)にも堀川の位置がよく分かります。
五条橋説明  topへ

五条橋参照 topへ
図−1 「鎌倉街道」 meiji24年 名古屋西部地形図 2.5万分の一  友歩会MKさん提供 2022.7.4 91kw304 Top
名古屋西部の鎌倉街道(小栗道)と古代東海道 (古代東海道が国府を結んでいることがはっきり分かる貴重な概要図です。) Top
  友歩会MKさん提供 2022.7.4  91kw305
八角堂(江戸時代と現在) Top
八角堂(wikipedia)     Top
久住山法蔵寺(八角堂)は愛知県名古屋市中村区名駅南二丁目にある天台宗の単立寺院。本尊は木造阿弥陀如来坐像で恵心僧都作
と伝わっており、「八角堂」の通称で知られる。初代尾張藩主徳川義直は、名古屋城二之丸御庭に我が国初めての聖堂を建て、
学問所とした。享保9年(1724年)七代宗春が夫人鶴千代のために、水主町の法蔵寺に移し、以来八角堂とよばれました。
先の戦禍で焼失しましたが、平成16年に再建されました。参観は毎月第1土曜日に限られます。
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白龍社  Top
白龍神社由緒
当神社は現在、名古屋市中村区名駅南(旧町名 内屋敷町)に鎮座。
 社伝によると、慶長八年(西暦1603年)この地域は、古くは国広井郷と呼ばれ、南北に流れる清流の江川がありました(現在は地下流)
  その川に架かる橋(柳橋)の辺りの村に熱病が流行した際、「此の美しき良き所に大神をお祀りすれば、萬民の苦疫を救い、幸を
たれ給う。」とのご神示が下りました。 ご神示に従い、江川の傍にある柳の木の下に祠を建て、人々が崇め拝むようになります。
その後、当時近くそびえるいちょうの木へ大神様が移られ、引き続き御神木として、人々の崇敬が広まり更なる大神様の御神徳が現わ
され、いつの頃からか、二柱お神を総して「白龍様」「白龍さん」と親しまれるようになりました。 
 境内にはご本殿の他に末社が二社あり、芸事や商いの神様、健康や知恵の神様として崇敬されています。
 先の大戦時には、空襲にいく度か合いましたが、神社と御神木は戦災を逃れました。
 戦後、都市計画が施行され、社を約八十米ほど南(現在地)に、御神木を昭和三十三年に移植、御本殿を昭和三十七年に造営、御遷座
し現在に至ります。 Top
浅間神社     Top
所在地: 〒451-0042 愛知県名古屋市西区那古野1−29−3
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四間道
名古屋の城下を流れる堀川の西側にあって、江戸時代の初め慶長15年(1610年)名古屋城築城とともに始まった清須越にともなって
つくられた商人町です。四間道(しけみち)は、元禄13年(1700年)の大火の後、防火の目的と旧大船町商人の商業活動のため、道路幅
を四間(約7メートル)に広げたので、その名前がついたといわれています。
石垣の上に建つ土蔵群と軒を連ねる町家が通りに面して建ち並んでいる現在の四間道の景観は、元文年間(1740年頃)に形成されました。
四間道の南端にある浅間神社は1647年に遷座したとされる由緒ある神社で、境内には樹齢300年を超えるクスノキやケヤキが見られる。
また、民家の屋根の上に小さな社を祀る、名古屋独特の風習「屋根神」が見られる。路地に入ると子守地蔵尊も祀られている。
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五条橋(web)  Top
名古屋市西区の堀川に架かる五条橋(ごじょうばし)は、かつて清洲城下の五条川に架けられていた橋を、
慶長15年(1610)に始まった清洲越しの際に、この地に移築したものです。そのため五条橋の擬宝珠(ぎぼし)
には、堀川が開削された慶長15年より古い慶長7年の銘が確認できます。
もとは木橋でしたが昭和13年(1938)にコンクリート製に架けかえられました。御影石の親柱、高欄、擬宝珠、
石張舗装などの特徴があり、現在でも昔の雰囲気を感じさせます。 Top
円頓寺(wikipedia)  Top
円頓寺(えんどうじ)とは、名古屋市西区那古野にある長久山圓頓寺の門前町として広がっている商店街である。
円頓寺商店街(中央)赤印が崇徳寺、その右上の緑色が新道中央公園、右下青色が四間道町並み保存地区
(南北の堀川沿いに美濃路が通っている)

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崇徳寺(愛知県名古屋市西区新道2-15-20)(上図の赤丸印) 浄土宗
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桂芳院(〒450-0002 愛知県名古屋市中村区名駅2-28-7)
愛知県名古屋市中村区の桂芳院は、曹洞宗のお寺です。左(上)は桂芳院の『航空写真』です。なお全国には74,560カ寺の寺院があります。
愛知県には4,550カ寺の寺院があります。愛知県名古屋市中村区には85カ寺の寺院があります。
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ホーム 友歩会参加記録目次 コースマップpdf参照(97map) 史跡巡り名古屋編Part13(第81回2019.7.06)
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