マルクス『剰余価値学説史』 ノート
2024.8.3作成,9.3改定
マルクス・エンゲルス略年譜
『剰余価値学説史』(T)ノート(1)序文2024.8.3
『剰余価値学説史』(T)ノート(2)第1章サー・ジェームズ・スチュアート(重商主義p8)8.5
『剰余価値学説史』(T)ノート (3) 第2章重農学派(1)(重農主義の特質p12)2024.8.5
『剰余価値学説史』(T)ノート(4)第2章重農学派(2)(重農主義体系における諸矛盾p19)8.6
『剰余価値学説史』(T)ノート(5)第2章重農学派(3)(ケネーにおける社会の3階級p24)8.10
『剰余価値学説史』(T)ノート(6)第2章重農学派(4)(パオレッティによる価値と物質との同一視p33)8.11
『剰余価値学説史』(T)ノート(7)第2章重農学派(5)(フランス革命と重農主義p40) 重農学派了 8.11 
『剰余価値学説史』(T)ノート(8)第3章A・スミス(1)スミスにおける2つの価値規定(8.13)
『剰余価値学説史』(T)ノート(9)第3章A・スミス(2)スミスにおける一般的な剰余価値論(8.14)
『剰余価値学説史』(T)ノート(10)第3章A・スミス(3)スミスによる社会的労働部面おける剰余価値生産
                   の発見&(4)資本と賃労働との交換におけるスミスの無理解(8.15)
『剰余価値学説史』(T)ノート(11)第3章A・スミス(5)剰余価値と利潤との混同(9.3)
『剰余価値学説史』(T)ノート(12)
『剰余価値学説史』(T)ノート(13)
『剰余価値学説史』(T)ノート(14)
『剰余価値学説史』(T)ノート(15)


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マルクス・エンゲルス略年譜    TOP
2023.07.07からマルクス・エンゲルスの古典学習会を開催することになった。
ここではまずはじめに、マルクス・エンゲルスの生きた時代背景を略年譜形式で押さえておきたい。
以下の略年譜は雑誌「経済」2013.5月号掲載による。
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「マルクス・エンゲルス略年賦」(雑誌「経済」2013.5月号、p6から引用)
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1818 マルクス生まれる
1820 エンゲルス生まれる

※1770〜1831 ヘーゲル(精神現象学1807、論理学1812、エンチクロペディ1817、法の哲学1821)
※1789 フランス革命(当時ヘーゲル19才)
※1830 フランス:7月革命(立憲君主制)

1842 マルクス、「ライン新聞」へ寄稿、やがて主筆に
1843 「ライン新聞」編集部を退く。パリへ
1844 マルクス「独仏年誌」創刊。エンゲルス:「国民経済学批判大綱」
   マルクス:「ユダヤ人問題によせて」「ヘーゲル法哲学批判序説」
   マルクス・エンゲルス、「聖家族」共同執筆
1845 マルクス、パリを追放されブリュッセルへ
   エンゲルス、「イギリスにおける労働者階級の状態」刊行
1846 マルクス・エンゲルス、「ドイツ・イデオロギー」共同執筆
   マルクス・エンゲルス、共産主義通信委員会を組織
1847 マルクス、「哲学の貧困」出版。マルクス・エンゲルス、共産主義者同盟に加盟。
1848 マルクス・エンゲルス「共産党宣言」発表
   ドイツで「新ライン新聞」創刊。(仏:2月革命、独:3月革命)
1849 マルクス「新ライン新聞」に「賃労働と資本」を連載。
   8月マルクス、ロンドンに亡命、経済学の研究開始。
1850 エンゲルス、マンチェスターで商会の仕事に就き、マルクスを支える。
1851 ルイ・ボナパルト、クーデターで皇帝に
1852 マルクス、「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」発表
1857〜58 マルクス、経済学の草稿執筆「57〜58年草稿」
1859 マルクス、「経済学批判」(第一分冊)刊行
1861〜63 マルクス、経済学批判続編の草稿「61〜63年草稿」
1863.7.6 マルクスの「経済表」を手紙でエンゲルスに送る。
1863〜65 マルクス、「63〜65年草稿」(資本論全3部の草稿)執筆
1862 マルクス、第一インターナショナルの「創立宣言」「暫定規約」起草
1865 マルクス、第一インターナショナル総評議会で「賃金・価格および利潤」を講演
1865〜67 マルクス、「資本論」第一部完成稿執筆
1867 マルクス、「資本論」第一部刊行
1867〜70 「資本論」第二部、第2〜第4草稿執筆
1871 パリ・コミューン マルクス、「フランスにおける内乱」執筆
1872 「資本論」フランス語版刊行開始(〜75年) 第一インターハーグ大会。本部をアメリカへ
1873 「資本論」第一部第2版刊行
1875 マルクス、「ゴータ綱領批判」(独、ゴータで合同大会)
1876 エンゲルス、「反デューリング論」執筆開始
1877〜81 「資本論」第二部草稿執筆(第5〜第8草稿)
1880 エンゲルス、「空想から科学へ」刊行
1883 マルクス、死去 「資本論」第一部第3版刊行
1885 「資本論」第二部刊行
1886 エンゲルス、「フォイエルバッハ論」刊行
1891 エンゲルス、「エルフルト綱領批判」発表
1894 「資本論」第三部刊行
1895 エンゲルス、「マルクス『フランスにおける階級闘争』の序文」を執筆
1895 エンゲルス、死去  TOP
『剰余価値学説史』(T)ノート(1)序文                  TOP
『剰余価値学説史』読書ノート(1)       2022年02月19日(アメブロ2022.3.5掲載)
                        2024/08/03(書き直し再掲)
「序文」
(ドイツ社会主義統一党中央委員会付属のマルクス=レーニン主義研究所編集のM=E全集第26巻第一分冊(全3分冊)
1965の翻訳である。)
『剰余価値学説史』は、1861〜1863年に書いた経済学手稿(23冊のノート)の一部で、1862.1から1863.7までに書い
たもので、マルクスが「歴史的・文献的部分」と名付けたものである。
マルクスは、『剰余価値学説史』を彼の「経済学批判」の為の最初のプランに従って書き始めた。
「経済学批判」のプラン(1858〜1862):当初の著作構成のプランは以下の通り。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
T資本について
 1資本一般
  a商品
  b貨幣
  c資本
   資本の生産過程
   1、貨幣の資本への転化
   2、絶対的剰余価値
   3、相対的剰余価値
   4、両者の組合せ
   5、剰余価値に関する緒学説
      資本の流通過程
   両過程の統一または資本と利潤 利子
 2競争
 3信用
 4株式資本
U土地所有
V賃労働
W国家
X外国貿易
Y世界市場
−−−−−−−−−−−−−−−−−
※重要なのは、「剰余価値に関するブルジョア的諸学説の歴史的概要」においてマルクスが次のように述べている事
である。
「すべての経済学者に共通な誤りは、彼らが剰余価値を純粋にそのものとして考察しないで、利潤や地代という特殊
な形態において考察しているということである。」それゆえ、マルクスにあっては、剰余価値に関するブルジョア的
見解の批判はブルジョア的利潤、地代、利子論の分析と絡み合っていた、という事である。
さらには、当初は、『資本論』の3部分のうち、第一部分(資本の生産過程)だけが草稿の形でできていただけで、
第2、第3部分は、素描の形で(1857/1858:経済学批判要綱)の中にあったにすぎなかったことである。
それ故、この書は膨大になった。
しかし、研究が進むに従って、マルクスが最初は1つの章に予定していた(1)資本の生産過程、(2)資本の流通過程、
(3)両過程の統一または資本と利潤という区分が明確になり、この編成が重要であり、決定的である事が判明して、
最初のプランでは独立の諸編をなす筈だった諸論題(「競争」「信用」「土地所有」)が次第にこの編成の中に含
められるようになった。こうして、3つの理論的な部分と『剰余価値学説史』とは、切り離され、第4部(全著作の結び)
として位置づけられたのであった。
エンゲルス宛の手紙(1865.7.31)に曰く:「理論的な部分(はじめの3部)を完成するには、まだ3つの章を書かねば
ならない。さらに第4部、つまり歴史的・文献的部分を書かねばならないが、これは比較的簡単だ。というのは、問題は
すべてはじめの3部で解決されているので、この最後の部はむしろ歴史的な形での繰り返しだからだ。」と。
マルクスはこの第4部の書き直しを意識していたが、それはやり遂げられなかった。
『剰余価値学説史』の意義について、(p.XXU)
※主要な個別問題が『資本論』よりも詳細に論ぜられていることが見出されることがまれではない。
(例:生産的労働と不生産的労働、恐慌の不可避生、絶対地代と土地の国有化、諸商品の個別的価値と市場価値との
関係など)それは、単にブルジョア経済学の歴史の理解だけではなく、多くの現実の経済問題の論究にとっても、また
同時代のブルジョア俗流経済学や修正主義や教条主義に対する闘争にとっても大きな意義をもっている。
(p.XXV)マルクスは1873年『資本論』第一巻第二版後書きで述べている。
「経済学がブルジョア的である限り、即ち、資本主義的秩序を社会的生産の歴史的に過ぎ去る発展段階としてではなく、
反対に社会的生産の絶対的で最終的な姿として考える限り、経済学が科学でありうるのは、ただ、階級闘争がまだ潜在
的であるか、またはただ個別的現象としてしか現れていない間だけのことである。 イギリスをとってみよう。
イギリスの古典派経済学は、階級闘争が未発展の時期のものである。古典派経済学の最後の偉大な代表者リカードは、
ついに意識的に、階級利益の対立、つまり労賃と利潤との対立、利潤と地代との対立を、彼の研究の跳躍点とするの
であるが、彼は、この対立を素朴に社会的自然法則と考えることによって、そうするのである。しかし、またそれと
同時にブルジョア経済学はその超えることの出来ない限界に達してしまったのである。
・・・1830年になって、一挙に事を決する危機が現れたのである。ブルジョアジーはフランスとイギリスでは既に政権を
獲得していた。その時から、階級闘争は、実際的にも理論的にも、益々あからさまな嫌悪な形をとってきた。それは、
科学的なブルジョア経済学の弔鐘を鳴らした。今や問題は、あれこれどちらの定理が正しいかという事ではなく、それ
が資本にとって有益か有害か、好都合か不都合か、・・・という事だった。私利を離れた研究に代わって、かねで雇われ
た喧嘩売りが現れ、とらわれない科学的研究に代わって弁護論の無良心と悪意とが現れた。・・・当時なお、科学的意義
を主張し、支配階級のただの詭弁家や追従者以上のものであろうとした人々は、資本の経済学を、もはや無視する事の
できなくなったプロレタリアートの要求と調和させようとした。それだからこそ、ジョン・スチュアート・ミルに代表
されるような無気力な折衷主義が現れたのである。これこそは、『ブルジョア』経済学の破産宣告であって、それは、
ロシアの偉大な学者で批評家のN・チェルヌィシェフスキーがその著『ミルによる経済学概説』のなかで既に見事に明
らかにしているものである。」
※レーニンによる評価(p.XXY〜XXZ)・・・マルクスの土地国有化と絶対地代について(略)
※『剰余価値学説史』の構成について、(p.XXXT)
第一分冊は、重農主義者たちとアダム・スミスの見解(リカード以前)
第二分冊は、リカード
第三分冊は、リカード以後の経済学者たちを扱っている。

◎「剰余価値学説史」の第一分冊は主として重農主義学者たちとアダム・スミスの見解を取り扱っている。
◎第二分冊の中心的な地位を占めているのは、D・リカードの地代論である。リカードの歴史的な意義は、労働時間に
よる価値規定の厳守であり、批判点は平均利潤率の法則を価値法則と結びつけ得なかったこと、一生産部門内での市場
価値の成立を生産価格の形成と混同していること、また、剰余価値の諸法則と利潤の諸法則との混同などである。
そしてマルクス自身の貴重な見解の展開がある。
◎第三分冊では、リカードの体系に対する左右からの批判が研究される。右からマルサス、左から社会主義的リカード
学派。そしてリカード学派の解体過程。プロレタリアートとブルジョアジーとの階級闘争に伴うブルジョア経済学の俗
流化と退廃。
◎各分冊にはそれぞれの主要本文に関係のある補録が収めてある。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
『剰余価値学説』の内容目次
(第一章)サー・ジェームズ・スチュアート・・・・・・・p8
(第二章)重農学派・・・・・・・・・・・・・・・・・・p12
(第三章)A・スミス・・・・・・・・・・・・・・・・・p48
(第四章)生産的及び不生産的労働に関する諸学説・・・・p160
(第五章)ネッケル・・・・・・・・・・・・・・・・・・p376
(第六章)余論 ケネーによる経済表・・・・・・・・・・p381
(第七章)ランゲ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p429
(補録)
1,ホッブズ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p441
2,ペティ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p443
3,ペティ、サー・ダドリ・ノース、ロック・・・・・・・p459
4,ロック・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p460
5,ノース・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p465
6,ヒュームとマッシー・・・・・・・・・・・・・・・・p472
7,重農学派に関する章への補足(重要)・・・・・・・・・p480
8,ビュア(p484)、ジョン・グレー(p486)
9,余論(生産的労働について)・・・・・・・・・・・・・p492
10、資本の生産性。生産的労働と不生産的労働(重要)・・・p495
11、『資本論』第一部及び第三部のプラン草案・・・・・・・p526
12、注解(p529−p1〜p29)・・・・・・・・・・・p529
「序文」(1)了。     TOP
『剰余価値学説史』(T)ノート(2)TOP
第1章サー・ジェームズ・スチュアート(重商主義)(剰余価値学説史<T>p8) 
(第一章)サー・ジェームズ・スチュアート・・・・・・・p8
「譲渡に基づく利潤」と富の積極的増加との区別   (2024/08/05)
・(p8)重農学派以前には、剰余価値(即ち、利潤)は、純粋に交換から、商品をその価値より高く売ることから説明
されてている。
・サー・ジェームズ・スチュアートは、概してこの偏狭さから抜け出てはいない。彼は、積極的利潤と相対的利潤とを
区別する。積極的利潤は、だれにとっても損失を意味しない。それは、労働、勤労または熟練の増加から生じ、社会的
富を増大させる効果を持つ。・・・相対的利潤は、だれかにとっての損失を意味する。それは、当事者たちのあいだにおけ
る富の均衡の動揺を示すが、しかし、全体の資材に対する少しの追加も意味しない。(『経済学原理』)
・(p9)「社会的富(the public good)」を増大させることがこの利潤の効果だとの付言からすると、スチュアート
はそれによって、労働の生産力の発展の結果として生みだされるより大きな使用価値量だけを考えており、この積極的
利潤を、資本家の利潤(交換価値の増加が前提)とは全く区別して捉えている。
(マルクス:当事者たちの間における富の均衡の動揺に関する彼の理論は、剰余価値そのものの性質と源泉に触れてい
ないとしても、いろいろな諸階級への、従って利潤利子、地代といういろいろな諸項目への、剰余価値の分配を考察す
る際には、依然として重要である。)(p10)
・(p11)資本の理解についての彼の功績は、ある特定階級の所有物である諸生産条件と労働能力とのあいだの分離過程
が、どのようにして起こったかを指摘した点にある。
資本のこの成立過程について、彼は、−それを大工業の条件としては理解しているが、まだそれを直接に資本の成立
過程としては理解しないで大いに論じている。
・彼は、この過程を特に農業において考察している。そして、彼においては、正当に、農業におおけるこの分離過程に
よって初めてマニュファクチュア工業がそのものとして成立する。
この分離過程は、A・スミスにおいては既に完成したものとして前提されている。
第1章サー・ジェームズ・スチュアート 了。 第2章重農学派へ。 2024/08/05 TOP
(2了)
『剰余価値学説史』ノート(3)       2022年02月23日
  第2章重農学派(1)                再掲2024/08/05   TOP
第二章 重農学派(重農主義の特質について)(1)
p12(1)剰余価値の源泉に関する研究の流通部面から直接的生産部面への移転
   剰余価値の唯一の形態としての地代
・重農学派による”資本”の分析は、彼らを近代経済学の本来の父となすものである。
・第一に、資本が労働過程中に存在し分解されているところの、いろいろな対象的成分の分析。・・・彼らにとって
は、生産のブルジョア的形態は必然的に生産の自然形態として現れる。彼らがこの形態を、社会の生理学的形態とし
て、即ち、生産そのものの自然的必然性から生じ、意志や政治などから独立している形態として、理解したことは、
彼らの大きな功績であった。それは物質的諸法則なのである。(唯物史観!)
彼らの誤りは、ただ、一定の歴史的な社会段階の物質的法則が、抽象的な、すべての社会形態を一様に支配する法則
として理解されている、という事だけである。
p13・このほかに、重農学派は、資本が流通においてとる諸形態(固定資本と流動資本)を規定し、又一般に、資本
の流通過程と再生産過程との関連を規定している。
資本主義的生産の発展のための基礎は、一般に、労働者に属する商品としての労働能力が、資本の形をそのまま持
ち続け労働者とは独立に存在する商品としての諸労働条件に、対立するという事である。
・商品としては、労働能力の価値の規定は極めて重要である。
この価値は、労働能力の再生産に必要な生活手段をつくりだす為に必要な労働時間に等しい、又は、労働者が労働
者として生存するために必要な生活手段を作り出すために必要な労働時間に等しい、又は、労働者が労働者として
生存するために必要な生活手段の価格に等しい。この基礎の上にのみ、労働能力の価値とその価値増殖的利用との
差異が生ずる。
この差異は、これ以外のどの商品にも存在しない。というのは、他のどんな商品の使用価値も、従って又その使用も、
その交換価値またはその商品から生ずる交換価値を、高めることはできないからである。
・・・それゆえ、賃金の最低限が重農学派の学説の軸をなしているのは当然である。
p14・彼らがこの賃金最低限を確定することが可能だったのは、この労働能力の価値が、必要生活手段の価格をもって、
それゆえ一定の使用価値の総額をもって現れるからである。
・さらに彼らは、この最低限を不変の大きさと解し、この大きさを、それ自身が変動を免れない大きさのものである
歴史的発展段階によってではなく、全く自然によって規定したという誤りを犯しているが、このことは彼らの結論の
抽象的正当性をなんら変えるものではない。
重農学派は、剰余価値の源泉についての研究を流通部面から直接的生産の部面へ移し、これによって資本主義的生産
の分析のための基礎を据えた。
・彼らは、剰余価値を創造する労働、従って、その生産物のうちにこの生産物の生産中に消費された諸価値の総額より
も高い価値が含まれるところの労働、だけが生産的であるという基本的命題を打ち立てた。
・ところで、原材料の価値(C)は与えられており、しかも労働能力の価値(V)は賃金の最低限に等しいのであるから、
この剰余価値(m)は明らかに、労働者が彼の賃金の形で受け取る労働量を越えて資本家に返してやるところの労働の
超過分以外のものではありえない。勿論剰余価値(m)は、重農学派においては、この形態では現れない。なぜなら、
彼らは、価値一般を、まだその単純な実体、即ち労働量または労働時間に還元していないからである。
p15・剰余価値(労働能力の価値とその価値増殖的利用との差異)(m)は、すべての生産諸部門のうち、農業におい
て、原生産において、最も明白に現れる。労働者が年々歳々消費する生活手段の総額、あるいは彼が消費する素材の量
は、彼が生産する生活手段の総額よりも少ない。製造業では、一般に、労働者が直接に彼の生活手段を生産する事も、
また彼の生活手段を越える超過分を生産することも、見られない。その過程は、購買と販売によって、流通のいろいろ
な行為によって、媒介されている。その過程を理解するには価値一般の分析が必要とされる。農業では、それは労働者
によって消費された使用価値を越えて生産された使用価値の超過分に直接に現れており、従って価値一般の分析がなく
とも、価値の性質に関する明確な理解がなくても、把握されうる。それゆえ、重農学派にとっては、農業労働が唯一の
生産的労働である、というのは、剰余価値を創造する唯一の労働だからであり、また、地代が、彼らの知っている剰余
価値の唯一の形態だからである。
製造業の労働者は素材を増加させない。彼はただそれの形態を変えるだけである。
彼は勿論、素材に価値を付け加えるのであるが、それは、彼の労働によってではなく、彼の労働の生産費によって、
即ち、彼が労働する間に消費する生活手段の総額つまり彼が農業から受け取る賃金の最低限に等しい額によってである。
農業労働が唯一の生産的労働として理解されるのだから、農業労働を工業労働から区別する剰余価値の形態即ち地代が、
剰余価値の唯一の形態として理解されるのである。
・p16それ故、地代そのものが1つの分身にすぎないところの、資本の本来の利潤は、重農学派においては存在しない。
それゆえ、貨幣利子の形態での剰余価値ー利潤のもう一つの分身ーは、父ミラボーのような一部の重農学派からは、反
自然的な高利であると宣告される。これに反して、チュルゴーは貨幣利子の正当性を導き出しているが、その理由は、
貨幣資本家は土地を、従って地代を、買うこともできるのだから、彼の貨幣資本は、彼がそれを土地所有に転化した
場合に受け取るはずの剰余価値と同じだけの剰余価値を彼にもたらさなければならない、ということである。だから、
このことからすると、貨幣利子も決して新たにつくりだされた価値即ち剰余価値ではない。それはただ、土地所有によっ
て獲得された剰余価値の一部が、なぜ利子の形態で貨幣資本家の手にはいるかということを説明しているにすぎない。
それはちょうど、この剰余価値の一部が、なぜ利潤の形態で工業資本家の手に渡るかということが、他の理由から説明
されているのと同じである。
・農業労働が唯一の生産的労働であり、剰余価値を創造する唯一の労働だから、農業労働を他のすべての労働部門から
区別する剰余価値の形態である地代は、剰余価値の一般的形態である。産業利潤と貨幣利子とは、地代が分割されて一定
部分だけが土地所有者の手から他の階級の手に移るところの違った項目であるにすぎない。
A・スミス以後の経済学者たちの場合とは全く逆である。彼らは産業利潤を、剰余価値が最初に資本によって取得される
ところの姿態として、従って、剰余価値の本源的な一般的形態として、正しく把握し、利子と地代を、産業資本家によっ
て剰余価値の共有者である色々な階級に分配される産業利潤の分身にすぎないものとして叙述しているからである。
・そのほかの理由(4点)について(P17〜p19)
第一に、地代は、農業では、第三の要素として、工業では全然又はほんのわずかしか見いだされない剰余価値の形態と
して、現れるからである。
第二に、外国貿易を捨象するとすれば、製造業などに従事している、独立に農業から分離された労働者ースチュアート
の言う「自由な勤労者」ーの数は、農業労働者が彼ら自身の消費を越えて生産する農産物の量によって規定されることは
明らかである。
(p18)そもそも価値の実体と解されているものが、抽象的労働及びその尺度たる労働時間ではなく、特定の具体的な
労働であるかぎり、農業労働が剰余価値の創造者と解されざるをえなかったことは、明らかである。
第三に、すべての剰余価値は、・・・一定の労働生産性を基礎とする。仮に労働の生産性が、一人の人間の労働時間では、
彼自身の生活を維持するのに、即ち彼自身の生活手段を生産し、再生産するのに、やっと足りる程度にしか発展していな
いとすれば、少しの剰余労働も、少しの剰余価値も存在しないであろうし、一般に労働能力の価値と労働能力の価値増殖
的利用との差異はなんら生じないであろう。それゆえ、剰余労働と剰余価値との可能性は、労働の一定の生産力、即ち
労働能力に対して、それ自身の価値よりも多くを繰り返し生み出すことを可能にさせ、その生活過程が要求する必要を越
えて生産することを可能にさせる、そうした生産力から生ずる。しかも前提として出発点をなすこの生産性、生産性の
この段階は、・・・まず、農業労働において存在しなければならない、だから、自然のたまもの、自然の生産力であるかの
ように見えるのである。この場合、農業では、はじめから自然諸力の協働ー自然諸力の応用と利用とによる人間労働力の
増進−が、即ち1つの自動機構が、大体において与えられている。
自然諸力のこうした大規模な利用は、製造業では、大工業が発展したときに初めて現れる。農業の一定の発展段階は、
それが自国内であろうと外国であろうと、資本が発展する為の基礎として現れる。ここでは、絶対的剰余価値は、その
限りで、相対的剰余価値と一致する。
第四に、重農主義の偉大さと独自性は、価値及び剰余価値を流通からではなく生産から導き出すことにある故に、
それは、必然的に、重金主義や重商主義とは反対に、一般に流通からも交換からも区別して独立に考えることができる
ところの、そして人と人との間の交換ではなく、人間と自然との間の交換だけを前提とするところの生産部門をもって
始めるのである。(人間と自然との物質代謝!)
第二章 重農学派(重農主義の特質について)(1)了。    2024/08/05  TOP
(3了)
『剰余価値学説史』ノート(4)          TOP
第2章重農学派(2)                          2022年02月25日
(重農主義体系における諸矛盾。その封建的外皮とブルジョア的本質)      再掲2024/08/06
p19・重農主義の体系における諸矛盾
重農主義は、事実上、資本主義的生産を分析し、資本がそのもとで生産され、そのもとで生産するところの諸条件を
生産の永久的自然法則として説明している最初の体系である。他方では、それはむしろ、封建制度の土地所有支配の、
ブルジョア的再生産として現れる。そして、資本がその内部で初めて自立的に発展するところの工業部面は、むしろ
「不生産的」労働部門、農業の単なる付属物として現れる。
資本発展の第一条件は、土地所有が労働から分離することであり、労働の根源的条件たる土地が、特殊な1階級の
手中にある独立した力として、自由な労働者に相対することである。それゆえ、土地所有者が、本来の資本家即ち剰余
労働の取得者として現れるのである。農業が、資本主義的生産−即ち剰余価値の生産−の専ら現れる生産部門として説明
されることによって、封建制度が、ブルジョア的生産の姿態をもって再生産され説明される。
こうして、ブルジョア社会は1つの封建的外観を受け取る。
p20・この外観は、家父長的な老ミラボーを欺いたが、チュルゴーの場合には、この外観は完全に消え去り、重農主義体系
は、封建社会の枠の中に浸透して行く新しい資本主義社会として現れる。従ってこれは、封建制度から抜け出しつつある
時期のブルジョア社会に照応している。それ故、出発点は、主として農業の行われている国フランスであり、主として
工業、商業、及び海運の行われている国イギリスではない。・・・だが、生産部面そのものにおける剰余価値の創造が証明
されるべきだとすれば、剰余価値が流通とは独立に現れる労働部門、農業に、引き戻されなければならない。
農業労働者は、賃金の最低限即ち絶対的必需品をあてがわれて、この絶対的必需品よりも多くのものを再生産する。
そしてこの剰余が、地代、即ち労働の根本条件である自然の所有者によって取得される剰余価値である。従って労働者は、
彼の労働能力の再生産にとって必要な労働時間を越えて労働するのだとは言われない。・・・むしろ彼が生産の期間中に
消費する使用価値の総量は、彼が作り出す使用価値の総量よりも小さいのであって、従って使用価値の剰余が残るのだ、と
言われる。(生活費より多くのものを収穫する!)
p21・土地の生産性のおかげで彼は、所与のものとして前提されている彼の日労働中に、彼が生き続けるために消費する
ことを必要とするよりも多くのものを生産することが可能だ、という点だけが固執されるのである。こうしてこの剰余価値
は、自然、即ちその協力によって労働が、一定量の有機物−植物の種子や幾頭かの動物−をして、より多くの無機物を有機
物に変えることを可能にさせるところの自然のたまものとして現れる。
・他方で、土地所有者が資本家として労働者に相対することが、自明なこととして前提されている。彼は、労働者に対し、
労働者が彼に商品として提供する労働能力に支払いをなし、それに対する代償として、等価を受け取るだけではなく、この
労働能力の価値増殖分をも取得する。
・封建的土地所有者から出発したのであるが、彼は、資本家として、単なる商品所持者として、立ち現れる。彼は、自分が
労働と交換する商品を価値増殖的に利用し、その等価だけでなくこの等価を越える剰余をも取り戻す。彼は、商品所持者と
して自由な労働者に相対するのである。換言すれば、この土地所有者は本質的に資本家なのである。
・この重農主義体系には、次のような諸矛盾がある。即ち、初めて剰余価値を他人の労働の取得から説明し、しかもこの
取得を商品交換の基礎の上で説明しているこの体系にとって、価値は一般に社会的労働の一形態ではなくまた剰余価値は
剰余労働ではなくて、価値は単なる使用価値、単なる素材であり、剰余価値は、ある一定量の有機物の代わりにより大量の
有機物を労働にかえす自然の単なるたまものなのである。
・一方で地代は、その封建的外皮をはぎとられて、労働賃金を越える単なる剰余価値に還元されている。他方では、再び封
建的に、この剰余価値は、社会からではなく自然から、交易からではなく土地との関係から、導き出されている。価値その
ものは、単なる使用価値に、従って素材に、解消される。
p22・他方、この素材については、単に分量だけが、消費された使用価値を越えて生産された使用価値の超過分だけが、関心
をもたれ、従って諸使用価値相互の単なる量的関係だけが、つまり諸使用価値の単なる交換価値だけが、関心をもたれる。
この交換価値は結局は労働時間に解消するのである。
・これらはすべて、資本主義的生産の諸矛盾、といっても封建社会からやっと抜け出して封建社会そのものをただよりブル
ジョア的に解釈するだけで、まだそれの独自の形態を見いだすに至っていない資本主義的生産の諸矛盾である。
・(p22)地代が唯一の剰余価値であるから、租税はすべて地代に転嫁される。従って、他の所得諸形態に対するどんな課税
も、回り道を経るだけで、従って経済的に有害な道を経るだけで、生産を妨げるような仕方で土地所有に課せられる。
こうする事によって租税は、それとともにあらゆる国家干渉は、工業から取り除かれ解放される。この事が表面上は、土地
所有のために行われる。
・(p23)これと関連しているのは、レセ・フェール(自由放任主義)、無制限な自由競争、工業からのあらゆる国家干渉や
独占等の排除である。工業は何も創造せず、ただ農業から与えられた価値を他の形態に変えるだけであり、・・・ただ工業に
提供された価値をただ他の形態で等価物として返却するだけであるから、この転化過程が、攪乱なしに、最も安上がりな
仕方で進行することは、当然望ましい事である。そしてこのことは、自由競争によってのみ、資本主義的生産が自由に放任
される事によってのみ、成し遂げられる。資本家に転化して専ら至富を心がける封建的土地所有者の利益の為にのみ行われ
る。資本家は、土地所有者の利益の為にのみ、資本家であるにすぎない。
(4了)  TOP
『剰余価値学説史』ノート(5)  TOP
第2章重農学派(3)(ケネーにおける社会の3階級p24)
『剰余価値学説史』ノート(5)        2022年02月28日
 第二章 重農学派                         2024.8.10再掲
(3)ケネーにおける社会の3階級。チュルゴーによる重農主義理論の一層の発展。
   資本主義的諸関係のより深い分析の諸要素。
p24・ケネーにおける社会の3階級区分(「経済表の分析」岩波文庫『経済表』p39/40)によれば、国民は3つの階級に分か
たれる。即ち、@「生産階級」(農業労働者)「A土地所有者(地主)階級及びB不生産階級」これである。
(「経済表の分析」p39)
・チュルゴーは最も発展している。「農業労働者の労働は彼の必要を越えたものを生産するのであるから、彼は、自然が彼
の労苦の賃金を越えて純粋のたまものとして彼に与えるこの超過分をもって、社会の他の成員たちの労働を買うことができ
る。こうした他の成員たちは、彼らの労働を農業労働者に売ることによってのみその生活費を得るのであるが、農業労働者
は、自分の生活資料のほかに、彼が全然他から買わなかったのに他へ売るところの独立の自由に処分しうる富を手に入れる
のである。従って、彼は、その流通によって社会の全ての労働を活気づけるいろいろな富の、唯一の源泉なのである。
というのは、彼は、その労働が労働の賃金を越えたものを生産する唯一の者だからである。」
(『チュルゴー富に関する省察』永田清訳、岩波文庫p25/26)
・p26第一に、この最初の理解の中には剰余価値の本質、即ち、剰余価値とは、売り手がそれに対し等価物を与えなかった
のに、・・・販売において実現される価値であるという剰余価値の本質が見出される。不払い価値ところが、第二に、労働
の賃金を越えるこの超過分は、自然の純粋のたまものと解されている。というのは、労働者が彼の労働日において、彼の
労働能力の再生産に必要なものよりも多くを生産することができるのは、総じて自然のたまものであり、自然の生産性の
おかげだからである。」(p26)
・(p27)総生産物は2つの部分に分かれる。第一は労働者の賃金。彼は、自分自身に対して、賃労働者として現れるの
であって、自分の労働能力の再生産つまり彼の生存にとって必要な生産物部分を自分に支払うのである。それを越える第二
の部分は自然のたまものであり、剰余価値をなす。
(p27)・賃労働者の一階級が形成されるためには、製造業であろうと農業自体においてであろうと、労働条件が労働能力か
ら分離されなければならない。そして、この分離の基礎は、土地そのものが社会の一部分の私有財産として現れることであ
り、こうして社会の他の部分が、自分の労働を経済的に利用するためのこの対象的諸条件から締め出されているという事
ある。
・p27「初期の時代には、土地所有者は耕作者と区別されなかったに違いない。・・・働くものはみな欲しいだけの土地を見出
したのであって、他人のために働こうという気は起こらなかったであろう。・・・ところが、結局はすべての土地がその所有
者を見いだし、自分の土地を少しも持つことが出来なかった人々は、被雇用者階級の仕事で、彼らの腕の労働を、土地所有
耕作者の生産物の超過分と交換するより他には、なすすべもなかった。
(『チュルゴー富に関する省察』・岩波文庫p29/30)
土地所有耕作者は、土地が彼の労働に与えたかなりの超過分をもって、「人々に賃金を支払い、自分の土地を耕作させ
る」ことができた。・・・こうして、農業そのもののうちに資本と賃労働との関係が生ずる。この関係は、一群の人々が
労働条件−なかんずく土地−の所有から分離されてしまって、その労働そのもの以外に何も売るものがなくなったときに、
初めて生ずるのである。
・p28自分の労働(労働力)そのものを売らなければならない賃労働者にとっては、賃金の最低限即ち必要生活手段の等価
が、必然的に、彼と労働条件の所有者との交換における法則となる。
・p28賃労働が生じてくると、「土地の生産物は2つの部分に分かれる。1つは、農業労働者の生活資料と利潤とを含む。
・・・耕作者は、彼自身の賃金を生産し、そのほかに、職人その他の被雇用階級全体に対する賃金の支払に用いられる収入を
生産する。・・・土地所有者は耕作者の労働なしには何も手に入れるものはない。」(従って自然の純粋のたまものによる
のではない。)「彼は、耕作者から、彼の生活資料と、彼の被雇用者たちの労働に対して支払うのに必要なものとを受け
取る。・・・耕作者は、ただ慣習と法律に従って、土地所有者を必要とするだけである。」(永田訳p35)
・ここでは、直接に剰余価値が、耕作者の労働のうち、土地所有者が等価を支払わずに取得する部分、従って生産物の内、
土地所有者が買うことなしに売る部分、として説明されている。ただ、チュルゴーが念頭に置いているのは、交換価値それ
自体、労働時間そのものではなく、生産物のうち、耕作者の労働が彼自身の賃金を超えて土地所有者にもたらす超過分で
ある。だが、生産物の超過分はすべて、耕作者が彼の賃金の再生産のために労働する時間の他に、土地所有者の為に無償
で労働する一定時間が対象化されたものに他ならない。
p30・(剰余価値の考察においては、流通部面から生産部面に移行すべきである。即ち剰余価値を、ただ商品交換から導き
出すのではなく、生産の内部で労働条件の所有者と労働者自身との間で行われる交換から導き出すべきである。これらの
ものも、商品所有者として相対するのであり、従って決して交換から独立した生産が想定されているわけではない。
・(重農主義の体系においては、土地所有者が賃金支払者であり、他のすべての産業部門における労働者や製造業者は、
賃労働者または被雇用者である。それゆえ、支配者と被支配者とでもある。)
・「土地はいっさいの耕作に先立つ前貸しの最初の財源を提供した。」それは、果実、魚、野獣等々としてであり、また
木の枝や石のような道具としてであり、家畜としてであった。この家畜は、生産過程によって幾倍にもふえるが、その他
にも年々の生産物をも与える。即ち、「ミルク、羊毛、皮革、その他の材料である。これらは、森林で得た木材とともに
工業製品の最初の財源となった。」(永田訳p69/70)
p31・ところで、これらの労働条件、これらの労働の前貸しは、それが第三者によって労働者に前貸しされなければなら
なくなれば、資本になる。そしてこのことは、労働者が彼の労働能力そのもの以外に何も所有しなくなる瞬間から、そう
なのである。
p32・地代が唯一の剰余価値をなすのであるから、蓄積は地代からのみ生ずるという事は、全く当然のことである。
資本家がそのほかに蓄積するものは、彼らが、自分たちの賃金(彼らの消費に充てられるはずの収入、というのは利潤は
そういうものと考えられているのだから)を切り詰めたものである。
p33・利潤も賃金も耕作の費用に計算され、そして超過分だけが土地所有者の収入をなすのだから、この土地所有者は
事実上、リカード学派と同様に、彼に与えられる名誉ある地位にもかかわらず、耕作の費用から−それと同時に生産
当事者であることから−除外されている。TOP
(5了)
『剰余価値学説史』ノート(6)            2022年03月01日
第2章重農学派(4)(パオレッティによる価値と物質との同一視p33)       2024.8.11再掲  TOP
p33 (四) パオレッティによる価値と物質との同一視
p33・価値と物質(使用価値)との混同、というよりむしろ両者の同一視。
・・・重農学派の考え方。F・パオレッティの『社会を幸福にする真の方策』(1804、ミラノ)
「土地の生産物に見られるような「こうした素材の幾倍もの増加は、決して工業によっては生じなかったし、また可能
でもない。この工業は素材についてただ形態を与え、それを変形するだけである。従って工業によっては何も創造され
ない。・・・経済学が前提し研究対象とするのは、素材の生産でありまた現実の生産であって、これは農業においてのみ
見られるのである。・・・工業は農業から原料を買ってそれを加工する。工業の労働は、この原料にただ形態を与えるだけ
であり、原料に何も付加することなく、またそれを幾倍にも増やしたりはしない。・・・物が価値を持つようになるのは
人間の欲望によってである。従って、商品の価値またはその価値の増加は、工業労働の結果ではなくて、労働する者の
支出の結果である。・・・何か新しい製造業が現れるやいなや、それはすぐに国の内外に拡がって行く。そこで見よ!
たちまち、他の工業経営者や商人たちの競争が、価格をそれの正当な水準に・・・原料の価値と労働者の生計費によって
規定される水準に、押し下げるのである。」(p34)
p34 (五) スミスにおける重農主義的諸要素(・・・自然力の利用)
p34・すべての産業部門のうち、農業においてはじめて自然力は生産のために大規模に利用される。製造工業における
自然力の利用は、製造工業のより高い発展段階においてはじめて目立ってくる。・・・A・スミス及びリカードの見解を
みる。
p35・「地代は、人間の所産とみなしうるすべてのものを控除又は補填したあとになお残るところの、自然の所産である。
・・・製造業で雇用される等量の生産的労働は、決してこれほど大きな再生産を生じさせることはできない。製造業では、
自然はなにもせず、人間が一切のことをする。そして再生産は常にそれを遂行する諸要因の強さに比例せざるを得ない。」
(A・スミス「国富論」)
p35・リカード(『経済学及び課税の原理』上・岩波文庫p67)は、このことについて次のように述べている。
「自然は、製造業においては人間のために何もしないのか?我々の機械を動かし、航海を助ける風や水の力は、なにもの
でもないのか?・・・最も巨大なエンジンの運転を可能にする気圧や蒸気の弾性は、自然のたまものではないのか?どんな
製造業でも、自然が人間にその援助を、しかも寛大に、かつ無償で、与えていないようなものは1つも挙げることができ
ない。」
p36・A・ブランキ(『経済学の歴史』1839ブリュッセル)による重農学派のまとめ:
重農学派は、「土地の耕作に用いられた労働は、その労働者が労働する全期間中に必要とする彼自身の生計分だけを生産
しただけでなく、既存の富の量に付加できる価値超過分」(剰余価値)「をも生産したのである。彼らは、この超過分を
純生産物と呼んだ。」
p37・(従って、剰余価値を、それが現れるところの使用価値の姿をもって捉えている。)「その純生産物は必然的に
土地所有者の手に入らなければならなかった。そして彼の手中で、彼が自由に処理しうる収入となった。では、他の産業
の純生産物はどうであったか?・・・製造業者、商業者、労働者−彼らはすべて、農業の使用人であり被雇用者であって、
農業があらゆる財貨の最高の創造者であり分配者であった。それらの人々の労働生産物は、エコノミストの体系では、
彼らの労働期間中の消費物に対する等価物であるにすぎない。従って、彼らが労働を終えた後も、富の総額は、もし労働者
または所有者が彼らの消費する権利をもつものを貯蔵即ち節約しなければ、以前と全く同じままであった。従って、土地に
投下された労働が富を生産する唯一の労働であった。そしてその他の産業の労働は不生産的とみなされたのである。
というのは、その労働は、資本全体の増加を全然もたらさなかったからである。」(吉田訳『欧州経済思想史』下p60/61)
※従って重農学派は、資本主義的生産の本質を剰余価値の生産においていたのである。
※p38・彼らの誤りは、素材−農業と牧畜とを、自然の植物生長と動物増殖とのために、製造業から区別させるところの
素材−の増加を、交換価値の増加と混同していたという事にある。彼らには使用価値が基礎となっていたのである。
そして、すべての商品の使用価値は、ある普遍的なものに還元すれば、自然素材そのものであって、所与の形態における
それの増加は農業だけに生ずるのである。(p38)
(6了)     TOP
『剰余価値学説史』ノート(7)             2022年03月01日 TOP
 第二章 重農学派                              2024.8.11再掲
p40 (六) 資本主義的基礎に立脚する大農業の支持者としての重農学派
・プルードン『貧困の哲学』で曰く:「土地所有の状態はむしろ改善されさえした。
というのは、土地所有は、おそらく封建制度以来はじめて所有者が変わり、また著しく細分化されたからである。」即ち
「この体制の影響のもとに生じた無数の所有権変動によって、土地所有の細分化が始まった。・・・これは、農業にとって
の真の目覚めであった。それ(土地)は、いまや、死せる手の支配から流通の支配のうちに移った。」
p41・チュルゴーもケネーや他のケネー追随者と同様に、やはり農業内部での資本主義的生産を希望している。
「土地を賃貸する・・・この最後の方法(近代的借地制度による大農業)は、最も有利なものである。とはいえ、これは、
その国が既に富裕であることを前提とする。」(p41)
・ケネーは『ケネー経済表』の中で、農業労働の生産性の上昇は、「純収入」に、従ってまず第一に土地所有者即ち、
剰余価値の所有者の手に、帰属するということ、及び、剰余価値の相対的増加が土地からではなく、労働の生産性の上昇
のための社会的その他の諸方策から生ずる事を認めている。(p41)
p42 (七) 重農学派の政治的見解における諸矛盾。重農学派とフランス革命
・エコノミスト(重農主義者)の全体系の諸矛盾。なかんずくケネーは絶対王政の支持者であった。加うるに「人民の友」
ミラボー侯もそうだ!しかしまさにこの学派こそは、レセ・フェール、レセ・アレ(自由放任主義)によって、コルベー
ル主義(重商主義的経済政策)を、総じてブルジョア社会の運営における政府のすべての干渉を、ひっくり返すのである。
この学派は、国家には、社会の隙間でやっと生き続けることを許すだけである。土地所有者の賛美は、実践的には一変し
て、租税を専ら地代に課すべきものとさせる。−これは、国家による土地所有の潜勢的な没収であり、こうしたことは、
丁度リカード学派の急進分子の場合と同様である。フランス革命は、この租税論を採用したのである。
p43・チュルゴー自身は、フランス革命を先導した急進的ブルジョア閣僚であった。重農学派は、そのあらゆる虚偽の封建
的外観をもったままで、百科全書家(注解25)と提携して仕事をしている!
・重農学派によれば、剰余価値は特殊な種類の労働の、即ち農業労働の、生産性のおかげである。しかもこの特殊な生産
性は、大体において自然そのものに追っている。重商主義においては、剰余価値は相対的であるにすぎない。一方が得る
ものを他方が失うのである。従って一国の内部では、総資本を考えるなら、事実上、剰余価値の形成は少しも生じない。
それはただ、ある国民が他の国民に対する関係において生じうるにすぎない。そして、ある国民が他の国民以上に実現す
る超過分は、貨幣(貿易差額)の形で現れる。というのは、まさに貨幣こそ交換価値の直接的で独立的な形態だからである。
・これとは反対に、重農主義は絶対的剰余価値を、即ち純生産物を、明らかにしようとするのである。そして、重農主義
は使用価値にがみつくのだから、農業が唯一の純生産物形成者なのである。
p44 (八) プロイセンの反動家シュマルツによる重農主義理論の俗流化
p46 (九) 重農学派の迷信への反対
p47・重農学派は、「製造業労働者の階級を不生産的」と呼ぶ。「というのは、彼らの見解によれば、製造業生産物価値
は、原料・プラス・製造業労働者が製造時間中に消費する食料品、に等しいからである。」
・これに反し、ヴェリは、工業者が累進的に富裕になるのと対象的に、農民がいつも貧乏である事に注意を促し、さらに
続けて言う。「これにより証明されることは、工業者が、彼の受け取る価格において、消費への彼の支出の補填分だけで
なく、それを越えるある一定額を受け取るという事である。」「従って、この新しく創造された価値は、農業または工業
の生産物価格のうち、彼らが諸材料の最初の価値とそれらの加工中に必要な消費支出とを越えて得るところの部分である。
農業では、種子と農民の消費が控除されなければならない。そしてそのあとに残る額と同じだけ新しい価値が年々創造さ
れるのである。」(p47)(ヴェリ『経済学に関する諸考察』1771年)
 第二章 重農学派 了  2022年03月01日(2024.8.11再掲) TOP


(注解25:百科全書家)  TOP
1751年から1772年までに、全28巻として刊行されたフランス革命前夜の『科学及び技芸の百科全書又は解説辞典』の著作
家たち。この百科全書は18世紀フランスの最も重要な啓蒙家たちの作品であった。主要な関与者は、編集を指導したディ
ドロと有名な「緒言」を書いたダランベールだった。その他には、オルバック、エルヴェシウス、ラ・メトリらが、新
思想を最も徹底的に主張した。また、モンテスキューやヴォルテールと並んで、ビュフォンは自然科学的題目の、コンディ
ヤックは哲学的題目の寄稿をもって参加した。ケネーとチュルゴーは政治経済的な項目の中で彼らの重農主義体系を記述
した。彼らのこの作品は、フランス革命のイデオロギー的準備への決定的な寄与を示している。
(7了)    TOP
『剰余価値学説史』(T)ノート(8)         2022.3.2
第3章A・スミス (1) スミスにおける2つの価値規定       2024.8.13再掲     TOP
p48 (一) スミスにおける2つの価値規定
p48・A・スミスは重農学派から平均賃金を受け継ぎ、これを賃金の自然価格と呼ぶ。
「人間は、つねに自分の労働によって生活しなければならないし、そして彼の賃金は少なくとも彼を扶養するに足りな
ければならない。たいていの場合、賃金はそれより幾分か多くのものでさえなければならない。そうでなければ、彼は、
家族を養育することが不可能であろうし、またこのような労働者の家系は一代限りで絶えてしまうであろう。」
(『国富論』河出書房上p63)
・「労働の生産物は、労働の自然的報酬または賃金を構成する。土地の占有と資材の蓄積との双方に先行する事物の本来
の状態においては、労働の全生産物は労働者に属する。
彼には、ともに分け合うべき地主も親方もいない。もしこの状態が続いたならば、労働の賃金は、分業によって引き起こ
される労働の生産諸力のすべての増加とともに増加したであろう。すべての物は、次第に安くなったであろう。」
(『国富論』河出書房上p60)
(※いずれにせよ、その再生産のためにより少ない労働量しか要しないすべての物は、そうであろう。それらは、単に
安くなった「であろう」というだけでなく、実際に、安くなったのである。)
p49・A・スミスは、労働の生産力における現実の大きな発展は、労働が賃労働に転化され、そして労働条件が一方では
土地所有として、他方では資本として労働と対立する瞬間から、はじめて開始されるということを、的確に述べている。
こうして、労働の生産力の発展は、労働者自身がもはやその成果を取得し得ない諸条件のもとで、はじめて開始される
のである。
p50・A・スミスは重農主義の考え方に酷く感染している。彼は、交換価値の規定において動揺している。特に、商品
生産に必要な労働量によるその商品の価値規定(W)と、それをもって商品を買うところの生きた労働量(V)とを、
又は同じ事だが、それをもって一定量の生きた労働を買うことができる商品の量(V)とを、混同している。
・この場合、彼は、労働の交換価値を商品の価値の尺度にしているのである。事実上は、賃金を尺度にしているので
ある。というのは、賃金は、一定量の生きた労働で買われる商品の量に等しく、あるいは一定量の商品で買うことが
できる労働の量に等しいからである。
労働能力の価値は、他のどの商品とも同様に変動し、他の諸商品の価値から特別に区別される点は何もない。ここでは
価値が価値の度量標準及び説明原理にされており、従って「悪循環」である。(『賃金・価格および利潤』5章参照)
・しかし、彼は事実上、意識していなかったにしても、商品の交換価値の正しい規定−即ち、商品に費やされた労働量
又は労働時間による価値の規定を固持している。
p51・「財貨を市場へ運び出すには、より多くの労働量が費やされたのである。それゆえ、財貨がそこへ運ばれた場合
には、それは、より多くの労働量の価格として引き換えに購買されたり、又はそれと交換されたりしたに違いない。」
(p51)(国富論)
p51・仮に、すべての労働者が商品生産者であり販売者でもあると仮定すれば、これらの商品価値は、それに含まれて
いる必要労働時間によって規定される。従って、諸商品がその価値どおりに売られるならば、労働者は、12時間労働の
生産物である一商品をもって、他の一商品の形態での12時間労働、即ち他の一使用価値に実現されている12時間労働を、
再び買うのである。従って、彼の労働の価値は、彼の商品の価値に等しい。販売と再販売、要するに全交換過程、商品
の変態は、このことを何ら変えるものではない。それはただ、この12時間労働が表される使用価値の姿を変えるだけで
ある。従って、労働の価値は、労働の生産物の価値に等しい。(※単純商品生産と資本主義的生産の違いに注意
p52・この前提のもとでは、労働の価値が、商品に含まれている労働量と全く同様に、商品の価値尺度として通用しうる
であろう。なぜなら、労働の価値は、つねに、この商品の生産に要する生きている労働と同量の対象化された労働を表す
からである。
・ところが、労働の対象的諸条件が1つ又はいくつかの階級に属し、これに反して労働能力だけが他の一階級即ち労働者
階級に属するところの、すべての生産様式−特に資本主義的生産様式−では、反対のことが生ずる。労働の生産物又は
この生産物の価値は、労働者のものではない。一定量の生きた労働は、同量の対象化された労働を支配しない。即ち、
商品に対象化された一定量の労働は、その商品自体に含まれているよりも大きな量の生きた労働を支配する。(p52)
p52・A・スミスは、資本と賃労働との−対象化労働と生きた労働との−交換では、一般的法則が直ちに廃棄されて、
諸商品はそれらが表す労働量に比例して交換されない、ということを発見する。それゆえ、彼は、労働条件が土地所有
と資本との形態で賃労働者と対立するようになれば、もはや労働時間は、諸商品の交換価値を規制する内在的尺度では
なくなる、と結論する。
・彼は、むしろ逆に次のように、結論すべきであったであろう。即ち、「労働の量」という表現と「労働の価値」と
いう表現とはもはや同じものではなく、従って諸商品の相対価値は、それに含まれる労働時間によって規制されるが、
労働の価値によって規制されるのではない、なぜなら、後者の表現は、それが初めの表現と一致していた限りでのみ正
しかったにすぎないのだから、と
p53・A・スミスは、諸商品の交換を規定する法則から、外観上はそれと全く対立し矛盾する原理に基づく資本と労働
との交換を導き出すのに、困難を感じている。また資本が、労働能力にではなく労働に直接に対置される限り、その
矛盾は解明されるはずもなかった。
労働能力がその再生産と維持とのために費やす労働時間と、労働能力そのものがなし得る労働とが非常に違うという
ことは、A・スミスにはよく分かっていた。
p56・「ホッブス氏が言うように、富は力である。しかし、大きな財産を獲得したり相続したりする人は、必ずしも
文武いずれかの政治力を獲得するとは限らない。・・・この財産の所持が直ちにしかも直接に彼にもたらす力は、購買力
である。即ち、そのとき市場にあるすべての労働又はすべての労働生産物にたいする一定の支配である。」
・・・スミスは、他人の労働(V+M)とこの労働の生産物(W)とを混同している。(W=C+V+M)
p57・分業によって引き起こされた変化とは、即ち富はもはやその人自身の労働の生産物のうちにではなく、この生産
物が支配する他人の労働量、即ちこの生産物が買いうる社会的労働の量の内に存するということ、そしてこの量は、
この生産物自体に含まれている労働量によって規定されている、という事である。ここで言われていることは、・・・
交換価値の概念だけである。
・ここで強調されているのは、分業及び交換価値によって引き起こされた私の労働と他人の労働との等値、社会的労働
の等値であって、決して対象化された労働と生きている労働との区別や、その交換の特殊な諸法則ではない。
p58・労働と労働の生産物との等値は、ここで既に、諸商品に含まれている労働量による諸商品の価値規定と、諸商品
が買いうる生きた労働の量による諸商品の価値規定即ち、労働の価値によるその規定との、混同を引き起こす最初の
誘因になっている。
諸商品の価値は、たとえ労働の価値がどんなに変化しようとも、諸商品に実現されている労働時間に常に比例する
いうことは、労働そのものについても、従ってまた労働の尺度である労働時間についても妥当することであって、
このことがここでは、この変化する労働の価値にたいしても要求されるのである。(p58) 2024.8.13再掲
 (8了)    TOP
『剰余価値学説史』(T)ノート(9)           2022年03月03日 TOP
第3章A・スミス (2) スミスにおける一般的な剰余価値論(8.14)       2024.08.14再掲
p59 (二) スミスにおける一般的な剰余価値論。労働者の労働生産物からの控除としての、利潤、地代及び利子
p59・A・スミスは、単なる商品販売者及び所持者との関係から、諸労働条件の所持者と労働能力だけの所持者との交換
関係に移っている。(国富論第一篇第6章)
p60・いろいろな商品を生産するために必要な労働時間が、それらの商品が互いに交換される比率、即ちそれらの商品の
交換価値を規定するのである。
・A・スミスは続けて曰く:「資材が特定の人の手に蓄積されたときには、彼らの中のある者は、当然、それを用いて、
勤勉な人々を就業させ、彼らの所産を売ることによって、あるいは、彼らの労働が原料の価値に付け加えるものによって
、利潤を得るために、彼らに原料や生活資料を供給するであろう。」(「国富論」上p46)
・p61少し立ち止まろう。まず第一に、生活手段も労働材料も持たない「勤勉な人々」はどこからやってくるのか?
スミスの言っていることは、整理すれば次のことに他ならない。即ち、資本主義的生産は、労働条件が一階級のものにな
り、労働能力の自由な処分だけが他の一階級のものとなる瞬間から始まる、という事である。労働条件からの労働のこの
分離が、資本主義的生産の前提を形成するのである。
p61・次に、A・スミスは、「・・・利潤を得るために」労働者を使用するということをどのように理解しているのか?
・・・「完成製品を交換する場合に、起業家にも、利潤として与えられなければならないいくらかのもの」というのは、商品
をその価値よりも高く売ることから生ずるのか?スチュアート流の、譲渡に基づく利潤なのか?
・スミスは続けて言う。「それゆえ、労働者たちが原料に付け加える価値は、この場合、二つの部分に分解する。1つは
彼らの賃金(v)を支払うものであり、他の1つは雇用者が前貸しした原料と労賃との全資材に対する雇用者の利潤(m)
を支払うものである。」と。従って、スミスは明確に次のように説明しているのである。完成された労働生産物の販売に
よって得られる利潤は、販売そのものから生ずるのではない。譲渡に基づく利潤ではない。むしろ価値(労働者たちが
材料に付与する労働量)が、2つの部分に分かれるのである。一方は、賃金に、他方は資本家の利潤を形成する。
(W=C+V+M)
p62・A・スミスは、労働者の労働の全生産物(W)がもはや労働者のものではなく、労働者がこの全生産物またはその
価値を資本の所有者と分け合わなければならないという事情が、(等価交換の)法則を無効にするということを自分で
反駁していたのである。
p64・それゆえ、利潤は、労働者が労働材料に付け加えた価値からの控除に他ならない。
労働者の労働時間は2つの部分に分かれる。1つは労働者が資本家から等価物を受け取っていた部分(V)であり、賃金
を構成する。もう一つは労働者が資本家に無償で与える部分であり、利潤(M)を構成する。A・スミスは、労働者が
材料に新たに付け加える労働(=v+m)の部分だけが賃金と利潤とに分かれるのであり、従って新たに創造された剰余
価値は資本のうち(材料・用具として)支出された部分(C)とは何の関係もないということを正しく強調している。
p65・A・スミスは、剰余価値をその一形態たる利潤の形態において説明したのち、剰余価値の別の形態である地代に
ついても同じ説明をしている。労働から疎外された、それゆえ他人の所有として労働に対立する対象的な労働条件の1つ
は、資本であり、もう一つは、土地そのもの、土地所有としての土地である。
p66・「どんな国でもその国の土地がすべて私的所有になれば、地主達は、他のすべての人々と同じように、・・・土地の
自然の生産物に対してさえ地代を要求する。彼(労働者)は、彼の労働が採集し又は生産したものの一部を地主に引き
渡さなければならない。この部分が、同じ事だが、この部分の価格が、土地の地代を構成するのである。」
・従って、本来の産業利潤と同じように、地代も、労働者が原料に付け加え無償で土地所有者に引き渡す労働の一部分
にすぎない。
・従って、A・スミスは、剰余価値、即ち、遂行された労働でしかも商品に実現されている労働のうち、支払い労働を
越える−その等価を賃金で受け取った労働を越える−超過分たる剰余労働を、一般的範疇として掴み、本来の利潤
および地代はそれの分身にすぎないとしているのである。それにもかかわらず、彼は、剰余価値そのものを独自の範疇
として、それが利潤や地代として受け取るところの特殊な諸形態からは区別しなかった。
このことから、スミスにあっては、研究上に多くの誤りと欠陥が生じている。
剰余価値が現れるもう1つの形態は、資本の利子であり、利子(貨幣の利子)である。
・・・貸し付けられた資本をもって得られる利潤の一部分である場合。この場合利子は、利潤そのものの第二次的形態、
その分身であり、従って、利潤の形態で取得された剰余価値(資本家)が異なった人たちのあいだにさらに分配された
ものにすぎない。もう1つの場合は、借り手が借りた貨幣を消費してしまう場合(消費者)この場合に彼は、彼自身
の財産を減らすことによって、貸し手の財産を殖やすのであり、剰余価値の形成にはならない。
p68・最後にA・スミスによれば、租税によって生活する人々のすべての所得も同様に、賃金から支払われるか、さも
なければ、その源泉を利潤及び地代のうちにもつか、つまりそれ自身が剰余価値のいろいろな諸形態にすぎない利潤
及び地代を違った身分のものが共同消費する権利名義であるにすぎないか、そのいずれかである。
p69・従って、貨幣利子並びに租税、または租税から引き出される収入は−それらが賃金からの控除でない限り、
−それ自身が再び剰余価値即ち不払労働時間に帰着するところの利潤及び地代の、単なる分け前にすぎない。
これが剰余価値に関するA・スミスの一般的理論である。要約すれば、・・・
p70・地代及び資本の利潤は、労働者の生産物からの、あるいは労働者によって原料に付け加えられた労働量に等しい
彼の生産物からの、控除にすぎない。ところが、この控除は、労働者の賃金を支払うだけの労働量即ち賃金等価物
(価値)を越えて、労働者が原料に付け加える労働部分からのみ成り立ちうるのであり、従って彼の労働の不払部分
たる剰余労働からのみ成り立ちうるのである。
(だから、利潤と地代、または資本と土地所有は、決して価値の源泉ではありえないのである。)
         (9了)               2024/08/14再掲
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『剰余価値学説史』(T)ノート(10)     TOP
第3章A・スミス (3) スミスによる、社会的労働のあらゆる部面における剰余価値生産の発見
 第三章 A・スミス  (三)p70&(四)p72
p70 (三)スミスによる、社会的労働のあらゆる部面における剰余価値生産の発見
・A・スミスには、剰余価値や資本の分析において、重農学派を越えて成し遂げられた大きな進歩が見られる。重農学
派の場合には、剰余価値を作り出すのは農業労働だけである。
故に彼らが考察しているのは、労働の使用価値であって、価値の唯一の源泉である労働時間、一般的な社会的労働では
ない。ところが、この特殊な労働の場合には、事実上剰余価値を作り出すのは、自然であり土地であって、剰余価値は
(有機的)物質の増加に解消される。つまり消費された物質を越える、生産された物質の超過分である。・・・それゆえ、
彼らは、幻想的な考えによって事態を歪めているのである。
p71・A・スミスの場合には、価値を作り出すのは、どんな使用価値となって現れるかは全くどうでもよいところの一般
的な社会的労働であり、単なる必要労働量である。
剰余価値は、それが利潤や地代の形態で現れようと、あるいは利子という第二次的形態で現れようと、この労働のう
ち、労働の対象的諸条件の所有者が生きた労働との交換によって取得する部分に他ならない。従ってまた、重農学派の
場合には、剰余価値は地代の形態でしか現れないのである。A・スミスの場合には、地代、利潤及び利子は、剰余価値
のいろいろな諸形態であるにすぎない。
私が剰余価値を、前貸資本の総額に関連させられる限りにおいて、資本の利潤と呼ぶ場合、それは、生産に直接に参加
した資本家が直接に剰余労働を取得するという理由によるものであって、あとで彼がこの剰余価値を、土地所有者とで
あれ、資本の貸し手とであれ、どういう項目で分け合わねばならないかは、どうでもよいことなのである。
このように、借地農業者は直接に土地所有者に「地代」を支払い、工場主は、彼の取得した剰余価値のうちから、工場が
建っている土地の所有者に地代を支払い、彼に資本を前貸しした資本家に利子を支払うのである。
p71・なおここで考察すべきは、次の事である。
(1)、A・スミスにおける剰余価値と利潤との混同。
(2)、生産的労働に関する彼の見解。
(3)、彼が地代と利潤とを価値の源泉としていること、及び、商品の「自然価格」(w=c+v+m)についての彼の間違
った分析。(V+Mのドグマ)
この彼の分析においては、原料及び用具(不変資本C)の価値は、収入の3源泉(賃金、利潤、地代)の価格と別個に
存在するとか、別個に考察されるとかいうものではないのである。
p72 (四) 資本と賃労働との交換における価値法則の作用に関するスミスの無理解
                     (2022.3.6初、2024.8.15再掲)
賃金、即ち資本家が労働能力の一時的な処分権を買うための等価物は、その直接的形態における商品ではなく、姿態変換
された商品たる貨幣であり、交換価値としての、社会的労働ないしは一般的労働時間の物質化としての、その独立的形態に
おける商品である。
この貨幣をもって、労働者は、当然、他のどんな貨幣所持者とも同様の価格で、諸商品を買うのである。
彼は、商品の売り手に対して、他の貨幣所持者と同様に、買い手として相対する商品流通そのものにおいては、彼は、
労働者として登場するのではなく、商品極に対する貨幣極として登場するのである。彼の貨幣は、彼にとって使用価値と
して役立つべき諸商品に再び転化する。彼は、この過程では、ただG−Wの行為をするだけであって、それは、1つの
形態変化を示しているが、しかし価値の大きさを決して変化させたわけではない。
p73・逆に資本家が労働を買うための貨幣は、・・・賃金を形成するこの貨幣額に含まれている労働量の他に、彼が支払わな
い追加労働量を・・・買うのである。そして、この追加労働量こそが、資本によって作り出される剰余価値を形成するので
ある。(労働日)=必要労働(生活費v)+剰余労働(追加労働、無償労働m)
A・スミスの偉大な功績は、単純な商品交換とその価値法則から、対象化された労働と生きている労働との交換に、
即ち、資本と賃労働との間の交換に、利潤及び地代一般の考察に、要するに剰余労働の源泉に移るさいに、ここに1つの
裂け目の現れることを感知していること、即ち、価値法則が結果においては事実上廃棄されて、労働者の立場からは
より多い労働がより少ない労働と、(資本家の立場からはより少ない労働(v)がより多い労働(v+m)と、交換さ
れることを感知していること、そして、資本蓄積及び土地所有とともに、−従って労働条件が労働そのものに対して独立
化すると共に−1つの新しい転換、外観的には(実際には結果として)価値法則のその反対物への急転、が生ずることを、
彼が強調し、そしてこのことの為に彼が文字通り当惑しているということ、である。

(※マルクスは資本論第七編第24章の最後で次のように述べている「最後に、相対的過剰人口即ち産業予備軍を常に
蓄積の規模とエネルギーに均衡させるという法則は、ヘファイトスの楔がプロメテウスを岩に釘付けにしたよりももっと
固く、労働者を資本に釘付けにする。それは資本の蓄積に照応する貧困の蓄積を必然にする。従って一方の極における富
の蓄積は、同時に他方の極、つまり自分の生産物を資本として生産する階級の側における貧困、労働苦、奴隷状態、無知、
粗暴、及び道徳的堕落の蓄積なのである。」と。(これがA・スミスの当惑の極限的拡大状態である。)
(「資本論」中央公論版1p369)

p74・A・スミスの理論的弱点は、彼が、この矛盾のために、単なる商品交換に対してすら一般的法則について当惑して
いるということ、又彼が、この矛盾の生ずるのは、労働能力そのものが商品になることによってであり、そしてこの特殊
な商品(労働力商品)の場合には、その使用価値そのものが、交換価値を作り出すエネルギーであることによってである
ことを洞察していないという事である。     (10了)                     (2024.8.15再掲)
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『剰余価値学説史』(1)ノート(11)          2022年03月07日    TOP
 第三章 A・スミス                                           2024/09/03(再掲)
p75 (五) 剰余価値と利潤との混同−スミスの理論における俗流的要素
・A・スミスによれば、資本のうちで原料及び生産手段から成り立つ部分は、剰余価値の産出とは何の関係もない。この
剰余価値は専ら、労働者の労働のうち、その賃金に対する等価物を形成する部分を越えて、彼が与えるところの追加労働量
から生ずるのである。
従ってまた、直接には、資本のうち、賃金を構成する部分だけから、剰余価値が生ずるのである。というのは、それは、
資本のうち、それ自身を再生産するだけでなく超過分をも生産する唯一の部分だからである。
p76・これに反し、利潤においては剰余価値が前貸資本の総額に対して計算されるのであり、しかもこの修正の他に、
なお、資本の違った生産部面における利潤の均等化による新しい修正が付け加わる。(資本論第三巻)アダムは、剰余価値
を、その特殊な諸形態から区別された一定の範疇の形態で、事実上は説明しているが、しかし明瞭には説明していない為に、
彼は、すぐあとで、剰余価値を、利潤というさらに発展した形態と直接に混同してしまう。この誤りは、リカードやその
すべての後継者においても同様である。
p77・A・スミスは、剰余価値つまり、この超過分を純粋に労賃に支出された資本部分からのみ生ずるものとした後に、直
ちにこの超過分を利潤の形態で捉えているのである。
即ち、この超過分をそれから生ずるところの資本部分との関連(m/V)においてではなく、前貸資本の総価値(c+v)
を越える超過分(m)として、「雇用主が前貸しした材料及び賃金」(この場合生産手段(減価償却分)を落としている
のは手落ち)との関連(m/(c+V))において捉えているのである。つまり彼は、剰余価値を直接に利潤の形態で捉え
ているのである。
p78・A・スミスは言う。「資本家は、彼の利潤が前貸資本の大きさに対し一定の比例をもつのでなければ、小資本に代わ
って大資本を使用するのに何の関心も持たないであろう」と。ここでは利潤は、もはや剰余価値の本性からではなく、資本
家の「関心」から説明されている。なんという月並みなたわごと。
p79・我々は、一般的形態での剰余価値から、いきなり、それと直接には何の関係もない一般的利潤率のところへやって
くる。
p80・一般に利潤は前貸資本の大きさによって比例するという利潤の法則は、一見したところでは、剰余価値が労働者の
不払剰余労働に他ならないという剰余価値または利潤(というのはA・スミスは両者を直接に同一視しているから)の法則
と矛盾するのである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−まとめ
利潤は、総資本との関係で捉えられる概念であり、剰余価値とは直接的には関係ない
商品の価値構成は、W=C+V+m(不変資本+可変資本+剰余価値)
※(総資本C=不変資本C+可変資本V) ※剰余価値m ※剰余価値率=m/V
利潤率=剰余価値/前貸総資本 = m/C = m/(C+V)
費用価格=c(不変資本)+v(可変資本)
生産価格費用価格+平均利潤(注)
(注)平均利潤とは、資本の違った生産部面における利潤の均等化による新しい修正
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