第86回河川探訪シリーズ・二之枝川編Part3 (詳細・拡大)
(令和2年(2020)12月5日(土)・天気:晴れ) (45名参加/22,020歩)(11Km)
下見・2020年10月17日(土) 歩数:23,835歩 (9名参加)★(愛知県の河川の歴史HP参照)
★コース:小信中島バス停8:16発→名鉄一宮駅8:41発→8:42妙興寺駅着
スタート: 9:00・名鉄妙興寺駅→一宮市博物館(出発式)→妙興寺→一宮地方総合卸売市場→大江川親水公園→吹上公園→
→稲沢公園→美濃路(稲葉宿)→稲沢宿本陣ひろば(解散式)→国府宮駅(11km) ★コースマップ(PDF)
★『解説』欄へ ★全員集合 寺さんWeb 一宮友歩会一宮市博物館一宮市観光協会
(愛知県の河川の歴史HP参照)
妙興寺駅 072 |
一宮市博物館案内図(妙興寺駅から徒歩7分) 86n01 |
一宮市博物館駐車場で会長挨拶86d02(2020.12.05) |
妙興寺に隣接する一宮市博物館 86n8003 |
妙興寺・勅使門 8006 |
妙興寺・総門 86n8007 |
妙興寺・三門 |
妙興寺・鐘楼と梵鐘 86n827 |
妙興寺・妙興専門道場 86n828 |
妙興報恩禅寺仏殿・足利6代将軍義教筆の額が掛かっている。 86d06 |
長島山主の歌碑 08 |
歌碑(S20年、山主孤児3百名と共に帰国乗船時の作) 86dw09 |
一宮卸売市場で休憩 86d18 |
★一宮卸売市場と★大江川(86n08) |
大江川親水公園案内 86n09 |
大江川親水公園で地形の解説(拡大版地図参照)86d24 |
吹上公園 86n14 |
大江川遊歩道案内 86n13 |
稲沢市案内 86n16 |
国府宮神社鳥居 86n17 |
全員集合(鳥居前)86d31 |
大江川に架かる御供所橋86d35 |
稲沢公園へ 86n18 |
稲沢公園の黄葉(2020.12.5) 86d41 |
美濃路稲葉宿案内 86d43 |
美濃路稲葉宿の面影 86n20 |
美濃路稲葉宿の面影 86n21 |
美濃路稲葉宿の面影 86n26 |
宝光寺 86n22 |
稲葉宿問屋場址 86n24 |
稲葉宿の面影 86d48 |
稲葉宿の面影 86n28 |
美濃路稲葉宿本陣跡の碑 86d50 |
美濃路稲葉宿本陣跡 86n35 Top |
美濃路稲葉宿 86nw036(w=1010) Top |
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美濃路稲葉宿本陣跡 86nw037(w=1010) Top Top |
★解説欄 ★コースマップ(PDF) Top |
★名鉄妙興寺駅 Top 所在地:愛知県一宮市大和町妙興寺北浦宮地48 駅構造:高架駅 ホーム:2面2線 乗降人員:-統計年度-2,302人/日・2013年 開業年月日:1924年(大正13年)2月3日 備考:無人駅(駅集中管理システム導入駅) *1993年高架化 妙興寺駅(みょうこうじえき)は、愛知県一宮市大和町妙興寺北浦宮地と花池四丁目に跨がった、名古屋鉄道名古屋 本線の駅である。駅番号はNH49。 Top |
★一宮市博物館(HP) Top 一宮市博物館は、郷土の歴史、文化遺産などに関する市民の理解と認識を深めるとともに、教育、学術及び文化の 発展に寄与することを目的として、昭和62年(1987)に開館しました。 南北朝時代に創建され数多くの文化財を今日に伝える長島山妙興報恩禅寺の境内に隣接し、建築家・内井昭蔵の設計 による、歴史的景観及び自然景観に調和した落ち着きのある斬新な建築が特徴です。 Top |
★妙興寺(Wikipedia) Top 妙興寺(みょうこうじ)は、愛知県一宮市にある臨済宗妙心寺派の大寺院。山号は、長嶋山(ちょうとうさん)、 寺号は詳しくは妙興報恩禅寺と称する。本尊は釈迦三尊、開山は滅宗宗興である。周囲には、五つの塔頭がある。 古より「尾張に杉田(過ぎた)の妙興寺」と言われる。 新陰流開祖上泉信綱が修行した。無刀取り発祥の地。 修行道場として僧堂が設置されている。 [歴史] 創建以前には妙興寺廃寺(妙興寺跡)と呼ばれる古代寺院が建っており、境内各所から出土する奈良時代の瓦によって 8世紀には寺院建築が存在したことが確認されている。その後寺院は、いつしか衰退し廃寺になった。数百年後の 貞和4年(1348年) 尾張国中島城主中島蔵人の次男滅宗宗興が亡き父母の報恩に感謝するために創建され、先師に あたる南浦紹明(なんぽじょうみん)を勧請開山とした。伽藍が完成したのは貞治4年(1365年)のことである。 この間、文和2年(1353年)には 足利義詮の祈願所となり諸山に列し、延文元年(1356年) 後光厳天皇の勅願寺と なっている。最盛期には、境内塔頭8、末寺13あったという。 ところが、応仁の乱を境に足利将軍家の庇護を失い、戦国時代の戦乱によって多くの寺領を失い衰微する。 天正18年(1590年)寺の荒廃を憂いた豊臣秀次(あるいは豊臣秀吉)によって京都妙心寺から南化玄興が招聘され 再興がはじまり、この時から妙心寺の末寺となった。秀次が200石を寄進した後、秀吉が300石を朱印地として宛て がい、後に松平忠吉に200石に減らされるも、これが尾張藩主によって代々安堵された。 明治時代に火災で伽藍を焼失し、方丈は明治26年(1893年)、庫裏は明治30年(1897年)にそれぞれ再建された。 重要文化財の勅使門は創建当初来の遺構を今日に至るまで伝えている。当門には1353年後光厳天皇より賜った勅額 「国中無双禅刹」が掛かっている。 Top |
★一宮地方総合卸売市場(HP) Top 一宮地方総合卸売市場株式会社 〒491-0923/愛知県一宮市大和町氏永字仲林140-1 TEL:0586-44-1119/FAX:0586-44-1068 営業時間:8:30~17:15 一宮地方総合卸売市場株式会社は民営5市場を統合し、一宮市及びその5市場の出資により、昭和56年に設立された 第3セクター方式の卸売市場で、尾張西部地域における生鮮食料品の流通拠点としての役割を担って開設されました。 [卸売市場] 一宮地方総合卸売市場で扱う青果物は、地元や県内の産地から直接運ばれてきたもの(委託)が全体の約18%であり、 残りは産地や他の市場から入荷したもの(買付)である。また水産物の多くは、名古屋の中央卸売市場を経て入荷して います。市場内の関連店舗棟には、乾物や漬物、調味料などを扱う店が並び、卸問屋の役目をはたしています。 これらの店には、青果店や飲食店などの買受人が出入りしています。 Top ★「日曜新鮮市」(一宮市HP) Top 毎月第1日曜日午前6時から午前9時まで日曜新鮮市を開催しております。毎回、新鮮な食材を買い求めるお客様で賑 わっております。また、特売や振る舞い、長野県木祖村の山菜・高原野菜の即売などの催し物も同時開催しております。 「地場野菜供給センター」 地場野菜供給センターは、野菜出荷用プラスチックコンテナを13,000個を保有し生産者に貸し出しております。 これにより、ダンボール等の資源の減量化及び出荷・流通コストの削減を図っています。 また、地場野菜の消費拡大を図るため、市民・消費者向けに食の情報紙「ぐりーんりんぐ」を年4回発行し、 市内の小学1・2年生の保護者や公共施設などに配布しています。 Top★(下図:左上・一宮地方総合卸売市場(大協青果あり)、左下・大江川親水公園) Top Top大江川親水公園(愛知県稲沢市稲島町上流4512番地1) ★大江川 ★(愛知県の河川の歴史HP参照) 大江川は,木曽川の水を濃尾平野に導く潅漑かんがい用水と,雨水等の排水路としての機能をもった河川で,農林水産省 が管理しています。稲沢市内では,北に接する一宮市から南に接するあま市まで,南北に縦貫しています。 あま市に入ってしばらく下ったところで名鉄津島線が川を渡りますが,その少し上流に大江川最下流の基準点があって, そこから下流は愛知県が管理する二級河川「蟹江川」となります。 蟹江川は蟹江町で日光川に合流します。 大江川の歴史は古く,平安時代に尾張国の国司「大江匡衡まさひら」(952~1012年)の功によって,治水と潅漑の ために整備されました。そのため後生の人たちに,大江川とよばれてきたとのことです。 現在,大江用水路は地下に埋設され,旧大江用水は大江排水路(大江川)として整備されています。 大江排水路は,水量が少ないときに水が淀よどんでしまわないように,下の図にあるような「複断面水路」を採用して います。また大江用水路の上には,多くのところで遊歩道または道路が設けてあります。★「大江川標準断面図」(HP参照) Top |
★吹上公園(右)(〒492-8145 稲沢市正明寺一丁目21番)(中央)は国府宮駅、(左)美濃路稲葉宿本陣跡ひろば TopTop |
★稲沢公園(稲沢市HP) 所在地〒492-8217 稲沢市稲沢町下田150-8 Top 概要:面積=4.1ha 主な施設=芝生広場・約6,000㎡、バラ園・800本 樹木=トチノキ、クスノキなど77種約1万4,000本 稲沢公園は、公園周辺を含む「文化の杜」構想の核として計画された”緑と文化”のシンボルです。この公園内にある荻須記念 美術館との調和を考慮し、「緑に囲まれた憩い」「緑の中での遊び」「緑の中での鑑賞」の場として、緑・水・光を取り入れた 自然景観となっています。 Top (左下:稲沢公園、左上:美濃路稲葉宿本陣跡ひろば、中央右上:国府宮駅、右上:吹上公園、斜めに大江川が通っている。) (左下:稲沢公園、左上:美濃路稲葉宿本陣跡ひろば、中央右上:国府宮駅、右上:吹上公園、斜めに大江川が通っている。)Top |
★稲沢宿本陣跡ひろば(稲沢市HP) Top 「概要」 面積=1,974.1㎡ 本陣跡の碑、門、塀、芝生広場など 所在地〒492-8212 稲沢市小沢二丁目913番 美濃路の宿場であった稲葉宿には、休泊施設として本陣、脇本陣や旅籠が置かれました。 本陣は、寛永12年(1635年)に参勤交代の制が定められたことにより全国の宿駅に設置され、諸大名のほか勅使、宮門跡、 幕府役人、外国使節なども利用し、脇本陣は本陣の補助をしました。稲葉の宿では、小沢村の原所次右衛門が本陣を、稲葉村の 吉田又吉が脇本陣をつとめました。 「美濃路稲葉宿本陣跡ひろば」は、この本陣があった場所に街道観光の拠点施設として整備された歴史公園です。 まち歩きの際に立ち寄り、稲葉宿の在りし日の姿に想いを馳せていただくとともに、交流の場としてご利用ください。 ※「稲沢宿本陣ひろば」(稲沢市観光協会HP) Top ※第13回稲沢発見シンポジウム「美濃路稲葉宿本陣跡ひろばで歴史を語る」(Live! 配信 2020 11/3 Youtube) Top |
★稲葉宿(WEB・HP) Top 稲葉宿 国府宮一の鳥居に戻り、名鉄名古屋本線の踏切を渡り、まっすぐ行って右に曲がると、稲葉の一里塚跡の標識が道端に 立っている。そこから300mほどで、稲葉宿へ入る。稲葉宿は稲葉・小沢両村で宿駅業務を行う合宿。 町並みは8町21間(910m)あり本陣1軒(小沢村)、脇本陣1軒(稲葉村東町)、 問屋場3軒、旅籠屋8軒、家数336軒、 人口1572人の宿場。 小沢、東町、西町に問屋が置かれていた。本陣職は小沢村の原所次右衛門が代々世襲していた。 鍵型に左手に曲がる角の正面に本陣の碑が立っている。角を曲がり100mほど 進むと右手に中部電力稲沢営業所であった 建物が見える。この付近に脇本陣があった。 営業所跡から150m余り行った右手に西町の 問屋場跡の碑が民家の軒先に立っている。すぐ先の宝光寺の門前には、 「右つしま道 三里」と刻まれた津島道の道標が立っている。 宝光寺の北の西寄りにある禅源寺は、明治2年(1869)12月、西尾張地域一帯で 起こった大規模な農民一揆、稲葉騒動 発端の地。禅源寺の鐘を合図に、農民の不満は爆発し暴動へと発展した一揆は、4日間に及び、3万を越える人々が 加わったと伝えられている。 Top (※稲沢宿本陣跡ひろば(稲沢市HP参照)は、下図参照。赤線は美濃路。右端は名鉄国府宮駅)Top Top |
Top ★美濃路は東海道の熱田宮宿から、名古屋、清須、稲葉、萩原、起、墨俣、大垣の七宿あり、中山道垂井宿と結ぶ主要街道。 宮から桑名までの「七里の渡し」は船便なので危険を避けて陸路を通る道。大名の参勤交代、女性の往来、朝鮮通信使、 琉球使節、お茶壺道中や物資の輸送など様々な用途で利用された。 ★(東海道・中山道・美濃路マップ、参照) ★topへ ★topへ |
★国府宮駅 Top 国府宮駅(こうのみやえき)は、愛知県稲沢市松下一丁目にある、名古屋鉄道名古屋本線の駅である。駅番号はNH47。 特急を含め全営業列車が停車する。 「はだか祭」で有名な尾張大国霊神社(国府宮)の最寄駅であり、全列車が停車する。 市名を冠するJR稲沢駅が市域東端に位置するのに対し、当駅は稲沢市の中心市街地に所在する。 接続する路線のない名古屋本線の単独駅ではあるが、全列車が停車し、かつ稲沢市の中心部に近いため、JR東海道本線 稲沢駅より利用者が多い。JR稲沢駅の利用者は増加傾向が続いており、ほぼ横ばいの国府宮駅の利用者数との差は埋まり つつあるが、2倍程度の差が有る。朝夕の快速特急、特急は普通電車との乗換駅でもあるのでかなり混雑する。 Top |
★全員集合(2020.12.5) 国府宮神社鳥居前 Top Top |