一宮友歩会・第91回ウオーク例会
史跡巡り名古屋編Part14 11km (2022.7.2)
(下見:2021.5.15(土)天気:晴れ・欠席 5名参加/(再下見:2022.5.21(土)天気:曇り 8名
例会:2022.7.2(土)・都合により欠席/画像は下見の時のものです。 例会参加者:22名 天気:晴れ・猛暑日)
午前7時30分出発>7:51バス中島発>名鉄一宮駅8:15>名古屋駅乗り換え8:39>山王駅8:41>9:10ウオーキング出発→
→広見憩いの杜→清正石切場→米野公園→智興寺→厳島神社→六反公園→八角堂→浅間神社→円頓寺→崇徳寺→
→桂芳院→名古屋駅>(★杉原千畝広場)へ>一宮駅>帰宅(下見・例会は欠席)
★コースマップpdf参照(91kmap)
★杉原千畝広場 ★杉原千畝発行のビザ ★杉原千畝『Youtube録画集』 ★「ひまわり」(2022.2.24、ロシアのウクライナ侵攻に抗議)
★友歩会参照 ★史跡巡り名古屋編Part13(第81回2019.7.06) ★コースマップpdf参照(91kmap) ★(解説)
![]() 名鉄本線・山王駅 91k001 |
![]() 広見憩いの杜へ(集合) 91k004 |
![]() 広見憩いの杜(WEB参照) 90khiromi.jpg (集合・出発) |
![]() 中川運河から見た広見憩いの杜 71k007 |
![]() 清正石切場(金刀比羅社内・名古屋築城石切場) 91k008 |
![]() 中川運河の公園周辺案内図 91k015 (2022.5.21) |
![]() 米野公園へ 91k016 |
![]() 米野公園総合案内 91k019 |
![]() 熊野神社(米野公園の北側) 91k017 |
![]() 智興寺 91k021 |
![]() 厳島神社 91k023 |
![]() 明治橋碑 下記解説参照 91kmeijihasi |
![]() 明治橋碑 下記解説参照 90kmeijihasi2 |
![]() 六反公園へ (昼食予定) 91k027 |
![]() 八角堂 k028 |
![]() 白龍社 k031 |
![]() 白龍社 k032 |
![]() 神明社 k040 Top |
![]() 神明社の乃木像 k041 |
![]() 浅間神社 k042 |
![]() 浅間神社 k044 |
![]() 四間道案内k046 |
![]() 四間道の町並み k047 |
![]() 四間道の町並み k048 |
![]() 四間道の町並み k050 |
![]() 四間道の町並み(ガラス館) k051 |
![]() 四間道の町並み k052 |
![]() 円頓寺商店街 k053 |
![]() 長久山 円頓寺 k055 |
![]() 信長像 k058 |
![]() 新道中央公園(解散式)k061 |
![]() 崇徳寺 k064 |
![]() 桂芳院へ k065 |
![]() 桂芳院 k066 |
![]() 桂芳院 k068 |
![]() 名古屋駅へ k071 |
瑞陵高校前の杉原千畝広場 ※下見の帰りに立ち寄った。(2022.5.21) (地下鉄桜通線・瑞穂区役所西・下記案内図参照) Top |
|
![]() k077 |
![]() 施設案内(愛知県・拡大pdf)k075 |
![]() k088 |
![]() k086 |
![]() 杉原千畝の生涯・外交官としての任務k081 Top |
![]() 人道主義による決断 k089 |
![]() ビザ発給の過程 k096 Top |
![]() ユダヤ人難民の行路 k099 |
★杉原千畝発行のビザ Top |
![]() ![]() ★杉原千畝広場(センポ・スギハラ・メモリアル案内図(右):愛知県WEB参照)及び杉原千畝発行のビザ(左)Top ★八百津町杉原千畝記念館 Top |
「用語解説」 ★コースマップpdf参照(91kmap) Top |
★山王駅(wikipedia)と広見憩いの杜山王駅は、愛知県名古屋市中川区山王3丁目にある、名古屋鉄道名古屋本線の駅である。駅番号はNH35。 所在地: 〒454-0011 愛知県名古屋市中川区山王3丁目13 開業: 1944年 地図:右下参照 Top ★広見憩いの杜:中川運河沿い、東(右)側に松重閘門がある。 Top |
★清正石切場 Top ★名古屋城・清正石 名古屋城の石垣は、本丸・二之丸・西之丸・御深井丸(おふけまる)を中心に築かれ、三之丸も含めるとその距離は城全体で総延長8.2q に及びます。築城の際、石垣工事を命じられたのは元豊臣家臣の外様(とざま)大名20家で、「丁場割り」といって大名ごとに持ち場が 決められていました。石垣に使われている石をよく見ると、さまざまな記号が刻まれています。 この刻印は、各大名が苦労して運んだ石を他家と区別するために付けたものとみられ、いさかいを避ける知恵でもあったようです。 石垣工事で大活躍したのが石垣づくりの名手とされた加藤清正です。最も重要な天守台の石垣を担当し、熊本(肥後)から約2万人を引き 連れてやってくると、わずか3カ月足らずで工事を終えてしまったと伝えられています。 本丸東二之門を入った正面には、大きさ約八畳敷、重さ推定10トンとされる名古屋城の石垣で最大の巨石があります。 この石を清正が運んだという伝承があり「清正石」と呼ばれていますが、この石垣の施工大名は黒田長政なので単なる説話と思われます。 (名古屋城・清正石参照)Top |
図−1 「鎌倉街道」 meiji24年 名古屋西部地形図 2.5万分の一 友歩会MKさん提供 2022.7.4 91kw304![]() |
名古屋西部の鎌倉街道(小栗道)と古代東海道 (古代東海道が国府を結んでいることがはっきり分かる貴重な概要図です。) 友歩会MKさん提供 2022.7.4 91kw305 ![]() |
★米野公園(防災公園) Top米野公園(こめのこうえん)は、名古屋市中村区にある地区公園。当地は第二次世界大戦(太平洋戦争)前の耕地整理によって整備された 古い住宅密集地であり、1947年(昭和22年)には既に「米野公園」として都市計画決定が行われていたにもかかわらず長く放置されてきた。 1998年(平成10年)度に至ってようやく、防災緑地緊急整備計画に基づいて整備に着手することとなった。都市計画決定された4.7ヘク タールのうち、事業計画面積は3.2ヘクタールであったが、このうち工事着手時には民有地が2.49ヘクタールにも及び、建物が156戸、 162世帯が居住する状態であった。また、計画区域内には既に都市公園としての「茶ノ木島公園」 という名の公園があったが、これはわずか0.14ヘクタールに過ぎなかった。 Top(地図:上部。右側に愛大名古屋キャンパス。その右側は運河町/中川運河) ![]() Top |
★明治橋碑(web参照) Top・明治34年3月31日開通 ・昭和12年、名古屋駅の移転改築により鉄道線路が高架になって撤去。名古屋駅の東側で繁華街の広小路と西側に隣接する中村方面は 鉄道の開通で東西が分断され、人の流れに支障ができ、名古屋初の鉄道用跨線陸橋「明治橋」が架けられる。 ★明治橋から左に走る鉄道は、大正2年に中村公園まで開通した中村電気鉄道Top |
★智興寺 真宗大谷派 智興寺:名古屋市の仏教寺院 所在地: 〒453-0809 愛知県名古屋市中村区上米野町5丁目6 Top ★厳島神社 Top 所在地: 〒453-0801 愛知県名古屋市中村区太閤5丁目1−13 周囲に水を巡らし、中央に社殿を奉安したこの神社は一風変わった雰囲気を漂わせています。古くより椿神明社、牧野神明社とともに 牧野村三社の1つでした。御祭神、市杵島。比賣・命由緒延享四卯年(1747)九月十六日当地に御鎮座あり。古くより宮裏神明社、 椿神明社と共に牧野三所社の一なり。明治初年無格社と定められる。後年昭和参拾七年椿神明社と合併。 椿神明社境外末社となり、毎年十月十六日執り行われる甘酒祭は往古悪疫流行の際、御伊勢川(簗瀬川)の清流を汲みて作りし甘酒を 神前に供し悪疫を鎮めたりとの口碑あり。Top ★六反公園(名古屋市の公園) 所在地: 〒450-0003 愛知県名古屋市中村区名駅南4丁目5 Top |
★八角堂(wikipedia) Top 名古屋市の仏教寺院 所在地:〒450-0003 愛知県名古屋市中村区名駅南2丁目3-18(地図:右下青色印、東側に堀川が南北に流れている) (地図:左下:米野公園、中央下:運河町、中央:名古屋駅、右下:白川公園、右上:愛知県図書館が見える。) ![]() ★久住山法蔵寺(八角堂)は愛知県名古屋市中村区名駅南二丁目にある天台宗の単立寺院。本尊は木造阿弥陀如来坐像で恵心僧都作 と伝わっており、「八角堂」の通称で知られる。初代尾張藩主徳川義直は、名古屋城二之丸御庭に我が国初めての聖堂を建て、 学問所とした。享保9年(1724年)七代宗春が夫人鶴千代のために、水主町の法蔵寺に移し、以来八角堂とよばれました。 先の戦禍で焼失しましたが、平成16年に再建されました。参観は毎月第1土曜日に限られます。Top |
★白龍社 Top白龍神社由緒 当神社は現在、名古屋市中村区名駅南(旧町名 内屋敷町)に鎮座。 社伝によると、慶長八年(西暦1603年)この地域は、古くは国広井郷と呼ばれ、南北に流れる清流の江川がありました(現在は地下流) その川に架かる橋(柳橋)の辺りの村に熱病が流行した際、「此の美しき良き所に大神をお祀りすれば、萬民の苦疫を救い、幸を たれ給う。」とのご神示が下りました。 ご神示に従い、江川の傍にある柳の木の下に祠を建て、人々が崇め拝むようになります。 その後、当時近くそびえるいちょうの木へ大神様が移られ、引き続き御神木として、人々の崇敬が広まり更なる大神様の御神徳が現わ され、いつの頃からか、二柱お神を総して「白龍様」「白龍さん」と親しまれるようになりました。 境内にはご本殿の他に末社が二社あり、芸事や商いの神様、健康や知恵の神様として崇敬されています。 先の大戦時には、空襲にいく度か合いましたが、神社と御神木は戦災を逃れました。 戦後、都市計画が施行され、社を約八十米ほど南(現在地)に、御神木を昭和三十三年に移植、御本殿を昭和三十七年に造営、御遷座 し現在に至ります。 Top |
★浅間神社 Top 所在地: 〒451-0042 愛知県名古屋市西区那古野1−29−3 Top |
★四間道名古屋の城下を流れる堀川の西側にあって、江戸時代の初め慶長15年(1610年)名古屋城築城とともに始まった清須越にともなって つくられた商人町です。四間道(しけみち)は、元禄13年(1700年)の大火の後、防火の目的と旧大船町商人の商業活動のため、道路幅 を四間(約7メートル)に広げたので、その名前がついたといわれています。 石垣の上に建つ土蔵群と軒を連ねる町家が通りに面して建ち並んでいる現在の四間道の景観は、元文年間(1740年頃)に形成されました。 四間道の南端にある浅間神社は1647年に遷座したとされる由緒ある神社で、境内には樹齢300年を超えるクスノキやケヤキが見られる。 また、民家の屋根の上に小さな社を祀る、名古屋独特の風習「屋根神」が見られる。路地に入ると子守地蔵尊も祀られている。Top |
★円頓寺(wikipedia) Top円頓寺(えんどうじ)とは、名古屋市西区那古野にある長久山圓頓寺の門前町として広がっている商店街である。円頓寺商店街(中央)、赤印が崇徳寺、その右上の緑色が新道中央公園、右下青色が四間道町並み保存地区 (南北の堀川沿いに美濃路が通っている) ![]() Top |
★崇徳寺(愛知県名古屋市西区新道2-15-20)(上図の赤丸印) 浄土宗 Top |
★桂芳院(〒450-0002 愛知県名古屋市中村区名駅2-28-7) 愛知県名古屋市中村区の桂芳院は、曹洞宗のお寺です。左(上)は桂芳院の『航空写真』です。なお全国には74,560カ寺の寺院があります。 愛知県には4,550カ寺の寺院があります。愛知県名古屋市中村区には85カ寺の寺院があります。 Top |