(平成22年7月11日) ★No.1(h11.7.25)はここをクリックしてください。 ★No.2(h14.7.7)はここをクリックしてください。★ムクロジ ★大賀ハス由来 ★大賀ハス(拡大)★大賀ハス(Wikipedia) ★羽島市大賀ハスまつり ★大賀ハス発掘から発見の経緯、開花の経緯
![]() 羽島市下中町加賀野井の木曽川橋(am5:53) |
![]() 散策路の円空資料館と中観音堂 |
![]() 平成の円空像@ |
![]() 円空像A |
![]() 円空像B |
![]() 平成の円空さん |
![]() 羽島市下中町加賀野井の円応寺のムクロジ |
![]() ★ムクロジ(←解説)A ★Top |
![]() 羽島市桑原町前野、大賀ハス園のハス花 ha026 |
![]() 簡保の宿、岐阜羽島の東隣 ha027 |
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![]() 花菖蒲園から 059 |
![]() 花菖蒲園から 060 ★Top |
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ムクロジ ★Top![]() ★ムクロジ(WEB)解説 ★薬用植物(WEB)から |
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大賀ハス由来 ★Top![]() haw33 ★大賀ハス(Web)解説 ★Top 大賀ハス発掘から発見の経緯、開花の経緯(Web解説参照) ★Top 1948-1949年(昭和23-24)、元・東京大学総合運動場(当時、東京大学検見川厚生農場 = 落合遺跡) で、慶応義塾大学の調査団によって丸木舟を3隻と、オール6本が発掘され、ここは「縄文時代の船 だまり」と推測した。 1951年(昭和26)3月、植物学者・大賀一郎博士(1883-1964)は、地元の花園中学校の生徒たちと共に 遺跡を発掘調査した。 3月30日、花園中学校女子生徒(西野真理子)が、千葉市検見川(花見川区朝日が丘町)、地下約6 メートルの泥炭層から最初にハスの実1個を発掘した。 4月06日、2個のハスの実を発掘し、発見したハスの実は、合計3粒になった。 ハスの権威者・大賀博士は、それらの年代を明確にするため、ハスの実、丸木舟の一部などをシカゴ 大学へ送って年代分析・鑑定を依頼した。 その結果、それらが弥生時代(約2000年前)のものであることが判明した。 1951年、大賀博士は発見した3粒の発芽を試みたが、2粒は失敗に終わり、5月、残りの1粒が発芽 に成功した。 1952年(昭和27)7月18日、早朝、伊原氏宅(醤油製造)の庭で、ピンク色の見事な花(古代ハス) が咲いた。 1953年(昭和28)8月5日、千葉市弁天池に移植し、4〜5本が開花した。 1954年(昭和29)6月8日、千葉県天然記念物に指定された。 以来、大賀ハスは「世界最古の花」として、海外でも大きい反響を得た。 その古代ハスは千葉県千葉市千葉公園から日本各地をはじめ、世界各国へ根分けされ、友好親善を 深めている。なお、大賀ハスは、「千葉市の花」にもなっている。 夜に開花するスイレンを除き、ハスもスイレンも早朝開花し、午後には花弁を閉じるという共通性が あります。 大賀ハス・古代ハスは、開花・閉じるを3回くり返し、4回目の開花後、花弁を閉じる こともなく、散ってしまいます。 初開花から散るまでの間、花色は鮮やかなピンクから次第に白色へと変化して行きます。 花弁の中央には蜂の巣に似た花托(かたく)があることから、ハチスと呼ばれているハスの実や、 地下茎(蓮根 = レンコン)も、食料となります。 千葉公園は桜の名所でもあり、ソメイヨシノ、シダレザクラが咲き、古代ハス・・・と四季折々の 花が楽しめます。 ★Top |
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大賀ハス ★大賀ハス(Web)解説 ★Top![]() haw40 |
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