一宮市・大徳連区公民館・成人学習部主催・ウオーキング
「大徳のお寺巡り」
(平成28年11月20日(日)天気:晴れ) Am9:30〜11:30 約60人参加
★コース:一宮市・西五城(五城公園・駐車場)〜冨田、西五城、東五城、北今地区のお寺7個所 (今日の万歩計:22,460歩)
出発点=五城公園→@信行寺→A地蔵寺→B聖徳寺跡→C浄慶寺→冨田一里塚→大徳公民館(旧水道事務所)→D法信寺→
E殷重寺→F應蓮寺→ゴール=五城公園
★今日のコースマップ
![]() 五城公園で打合せ(背後は戦没者慰霊碑)9:30頃 007 |
![]() 国霊山 信行寺(しんぎょうじ)(西五城) 008(浄土真宗大谷派) |
|
![]() 戦没者慰霊碑の碑文 | 戦没者慰霊碑の碑文われらは 祖国日本のために身命 をささげられた幾多英 霊の崇高な精神に対し 心より敬意と感謝の誠 をささげる われらは わかうるわしき国土と 民族の伝統を一層自覚 し正しく国を愛するの 心に培い日本国の繁栄 と世界永遠の平和につ とめることを誓う われらは 全市民協力のもとにこ れらの悲願をこめてこ こにこの碑を建立する 昭和四十一年十二月 尾西市慰霊碑建設委員会 |
国霊山信行寺解説 1615年頃小信中ノ 坊より移転。当時は 誓松山瑞岩寺と名 造り、聖徳寺の末 寺。 1797年寺号を 信行寺に変更。 明治に入り本山直 末となった。 現在の本堂は1891 年の濃尾大震災で 倒壊し、建て起こし たもの。戦後戦没者 の追悼を目的に 1945年山号を 国霊山に改称し、 現在に至る。 (大徳地区寺院巡り 資料2016.11.20) |
![]() 戦没者慰霊碑h28d002 |
![]() 慰霊碑建設記念 昭和41年12月22日 尾西市郷友会 |
|
![]() 慈光山地蔵寺の山門(正面奥)(冨田) 009 |
慈光山 地蔵寺の説明 先にあった地蔵堂と文政年間(1820年頃)に建てられた阿弥陀堂 を併合し、1830年頃、一宮常念寺末庵として開かれた。 1942年地蔵寺と改称した。現在の本堂等は、震災倒壊後再建 されたもの。 前身の地蔵堂の記録は不詳だが宝暦5年(1755)ともいわれる。 (浄土宗西山派) topへ |
|
![]() 聖徳寺跡の碑(冨田)011 (浄土真宗) |
![]() 聖徳寺跡の全景h28d015 topへ |
|
![]() ※1500年頃から百年ほどの間この地にあった大きな寺。天文22年(1553年)この寺で織田信長と斎藤道三との 会見が開かれている。今は名古屋に移っているが、現在も聖徳寺門徒の方がこの地にいらっしゃる。(資料) topへ |
||
![]() 里松山 浄慶寺(りしょうざん じょうきょうじ)(冨田)016 (浄土真宗大谷派) 慶長4年(1599)聖徳寺移転後、聖徳寺住職 によって造られた支院。 |
![]() 浄慶寺本堂017 寛文4年(1664)現在の寺号に改称。 明治16年独立し本山直末となった。現在の本堂等は震災倒壊後 再建された。 |
|
![]() 里松山 浄慶寺の鬼瓦(本堂屋根修復記念H7.5) 019 |
![]() 冨田一里塚(東側)022 topへ |
|
文部省(当時)の説明 冨田一里塚(東側)![]() 旧美濃路の一里塚にして道の東西両側にあり両塚は略等しく経約35尺高6尺にして塚上にはそれぞれ榎1株あり (昭和15年12月9日) |
||
![]() 浄慶寺の鬼瓦 |
![]() 冨田一里塚の榎(西側)h28dt026 |
|
冨田一里塚の解説 topへ![]() |
||
![]() 冨田一里塚の榎(西側) |
![]() 文部省(当時)の説明の碑(東側)025 |
|
美濃路の略図h28dw027 topへ![]() |
||
![]() 大徳公民館へ030 |
![]() 公民館での展示作品をしばし鑑賞031 |
|
![]() 展示作品2 032 |
![]() 展示作品3 033 |
|
![]() 展示作品034 |
![]() 法信寺(北今)へ036 |
|
![]() 法信寺037 |
![]() 法信寺本堂041 |
|
法信寺の工芸梵鐘解説h28dw039 topへ![]() ※誓松山 法信寺(北今)(浄土真宗大谷派) 1360年頃天台宗の坊として開かれる。文亀2年(1502)浄土真宗に改宗し、寺号を現在の法信寺と改称。本堂は元禄3年(1690) に建てられ、宝永7年(1710)改築されたもの。この寺の梵鐘は、戦争時の供出を免れた県下唯一のもの。 topへ |
||
梵鐘のいわれ h28dw040![]() |
||
![]() 自然山 殷重寺(東五城)043 |
![]() 殷重寺本堂045 |
|
![]() 妙徳山 應蓮寺(東五城) 049 |
『解説』(ウオーキング資料より引用) 自然山 殷重寺(東五城)(じねんざんいんじゅうじ) 室町時代の末期、天文8年(1539)開基釋宗信によって開かれ た。開基釋宗信の父俗名小八郎(法名釋道勇)が、親鸞聖人の み教えに信奉し、道場創立の願い成就せんと、当村東五城岩田 新右衛門並びに西五城岩田勘兵衛の両人に働きかけ、多くの ご同行と共に浄財を集め殷重寺創建の願いが完成せられた。 現在の本堂は、震災倒壊後再建されたもの。 (浄土真宗大谷派) 妙徳山 應蓮寺(東五城)(みょうとくざんおうれんじ) 明応3年(1494)安立二良行高の子真静が父行高を開基として 創建した寺。天文11年(1452)将軍より足立姓を賜る。 道場時代を経て、寛永6年(1629)に本山直末となる。 現在の本堂は、震災倒壊後再建されたもの。 (浄土真宗大谷派) topへ |
|
今日の「大徳のお寺巡り」(H28.11.20)コースマップ topへ |
平成28年度 大徳公民館成人学習 ウオーキング「大徳のお寺巡り」(H28.11.20)マップ 出発点=五城公園→@信行寺→A地蔵寺→B聖徳寺跡→C浄慶寺→冨田一里塚→大徳公民館(旧水道事務所)→D法信寺→ E殷重寺→F應蓮寺→ゴール=五城公園 topへ ![]() |